孟子は、王が牛を羊に代えた行為の中に「仁の心」があることを明言する。
「王が牛を見たからこそ、忍びざる心が起きたのです。羊は見ていなかったのです」
そして、孟子は**“君子と禽獣”の関係**というたとえを持ち出す:
「君子は、生きている獣を見ると、それが殺されるのは忍びない。
その声を聞けば、その肉を食べることすら忍びなく思う。
だから、君子は台所を遠ざけるのです」
これに宣王は心から納得し、喜びをもってこう答える。
「『詩経』に、“他人の心を私はよくはかる”とあるが、まさに先生のことだ。
自分でもなぜ牛を羊に代えたのかはっきり分からなかったが、先生の話を聞いて、自分の心がはっきりわかった気がする。
しかし、この心がなぜ“王者の心”といえるのか、それを教えてほしい」
このやりとりは、孟子のたとえ話が聞き手の心を「戚戚焉(しみじみと動かす)」までに導いた瞬間を描いています。たとえ話が抽象を具体にし、感情をともなって理解される例の最たるものです。
引用(ふりがな付き)
「曰(い)く、傷(いた)む無(な)きなり。是(こ)れ乃(すなわ)ち仁(じん)の術(すべ)なり。
牛(うし)を見て未(いま)だ羊(ひつじ)を見ざるなり。
君子(くんし)の禽獣(きんじゅう)に於(お)けるや、其(そ)の生(い)けるを見ては、其の死(し)ぬるを見るに忍(しの)びず。
其の声(こえ)を聞きては、其の肉(にく)を食(く)うに忍びず。是(こ)れを以(もっ)て君子は庖廚(ほうちゅう)を遠(とお)ざくるなり。王(おう)説(よろこ)びて曰く、『詩(し)に云(い)う、“他人心(たにんのこころ)あり、予(われ)之(これ)を忖度(そんたく)す”とは、夫子(ふうし)の謂(いい)なり。
夫(そ)れ我(われ)乃(すなわ)ち之を行(おこな)い、反(かえ)って之を求(もと)めて、吾(われ)が心(こころ)に得(え)ず。
夫子之を言い、我が心に於(お)いて戚戚焉(せきせきえん)たる有(あ)り。此(こ)の心の王(おう)たるに合(あ)する所以(ゆえん)の者(もの)は何(なに)ぞや』」
注釈
- 仁の術…仁の心のはたらき。人間の自然な共感や優しさ。
- 庖廚(ほうちゅう)…台所。屠殺や調理が行われる場所。
- 忖度(そんたく)…他人の心をおしはかること。
- 戚戚焉(せきせきえん)…しみじみと心に響き、感動を覚える様子。
パーマリンク案(英語スラッグ)
power-of-parables
(たとえ話の力)reach-the-heart
(心に届く言葉)compassion-explained
(仁を解き明かす)
補足:比喩は人の心を動かす最短距離
孟子はここで、ただ理屈で説くのではなく、自然な感情(仁)を視覚的・感覚的なたとえにのせて語っています。
そのため、王ははじめて“自分でも理解できなかった自分の心”を知ることができました。
これは、説得・教育・カウンセリング・指導など、人と人が深く向き合う場面すべてにおいて重要な知恵です。
たとえ話とは、理性だけでなく感性も動かす“橋”のようなもの。孟子はそれを“用意された型”ではなく、“目の前の相手に合わせて出す”という柔軟さを持ち合わせていました。
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