孟子は、孔子を「集大成の聖人」とした上で、その意味を音楽と弓術の比喩を通じて説明する。
始まりを正しく導くには智(ち)=技巧が必要であり、
終わりを美しくまとめるには聖(せい)=力=人格の力が求められる。
孔子はその智と聖、技巧と力、調和の発端と完結のすべてを兼ね備えた存在なのだと説かれる。
**「始まりも終わりも美しく整える人間こそ、真に偉大な人物である」**という孟子の価値観が集約された一節である。
原文と読み下し
集(あつ)めて大成(たいせい)すとは、金声(きんせい)して玉(ぎょく)之(これ)を振(ふ)るうなり。
金声すとは、条理(じょうり)を始(はじ)むるなり。
玉之を振するとは、条理を終(お)うるなり。条理を始むるは、智(ち)の事なり。条理を終うるは、聖(せい)の事なり。
智は譬(たと)えば則(すなわ)ち功(こう=技巧)なり。
聖は譬えば則ち力(りょく)なり。百歩の外に射るがごとし。
其の至(いた)るは、爾(なんじ)の力なり。其の中(あ)たるは、爾の力に非(あら)ざるなり。
解釈と要点
- 「金声」=鐘を鳴らすことは、演奏の始まり。全体の条理・秩序を正しく導く。これは**「智」=技巧の働き**。
- 「玉振」=玉磬を打つことは、演奏の締めくくり。全体を美しくまとめ上げる。これは**「聖」=徳・人格の力**。
- 智とは弓術における的に当てる正確さ(テクニック)。聖とは弓を的まで飛ばす力(パワー・信念)。
- たとえ矢が的に届いたとしても、それは力(筋力)による。だが、的に正確に中てるのは技術(智)による。
- 孔子はこの力と技巧、始まりと終わり、理と情、智と聖のすべてを兼ね備えた存在であり、
その生き様は**「人間の完成形=集大成」**として理想とされる。
注釈
- 金声(きんせい):演奏の最初に鳴らす鐘の音。開始の合図であり、条理の発端。
- 玉振(ぎょくしん):演奏の最後に打つ玉磬(けい)の音。調和の終結、まとめの象徴。
- 条理(じょうり):秩序と調和。道の筋道。
- 智(ち)=技巧、聖(せい)=力:知恵と人格、技術と信念の対比。どちらか一方ではなく、両方の融合が必要。
- 百歩の外に射る:大きな距離から弓を射る比喩。届かせるには力が、命中させるには技が必要。
パーマリンク(英語スラッグ)
power-and-skill-united
→「力と技巧の融合」をそのまま表すスラッグです。
その他の案:
begin-well-end-well
(始まりも終わりも整える)sage-of-balance
(均衡を体現した聖人)wisdom-and-strength-in-harmony
(知恵と力の調和)
この章は、**「孔子の完成度の高さとは何か」**を象徴的に説明する重要な比喩的構成です。
孟子は、始めと終わりを調和させる総合力こそが「集大成」の証であると説き、
それができた孔子こそが「智と聖を一体にした完全な聖人」であると位置づけています。
原文
集大成也者、金聲而玉振之也、金聲也者、始條理也、玉振之也者、終條理也、始條理者、智之事也、終條理者、聖之事也、智譬則功也、聖譬則力也、由射於百步之外也、其至爾力也、其中非爾力也。
書き下し文
集(あつ)めて大成(たいせい)すとは、金声(きんせい)して玉(ぎょく)これを振(ふ)るうなり。
金声すとは、条理(じょうり)を始むるなり。
玉これを振するとは、条理を終うるなり。
条理を始むるは、智(ち)の事なり。
条理を終うるは、聖(せい)の事なり。
智は譬(たと)えば則(すなわ)ち功(こう)なり。
聖は譬えば則ち力(りょく)なり。
百歩の外より射(い)るが如し。
其(そ)の至(いた)るは爾(なんじ)が力なり。
其の中(あた)るは爾の力に非(あら)ざるなり。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「集大成」とは、はじめに金の鐘の音を響かせ、次に玉の音で美しく振動させて締めくくるようなものだ。
- 「金の声」とは、条理(秩序)を始めることを意味する。
- 「玉を振る」とは、条理を完成させることを意味する。
- 条理を始めるのは「智」、つまり知恵によるものである。
- 条理を終えるのは「聖」、すなわち聖なる徳によるものである。
- 知とは、たとえて言えば「巧」、すなわち技術的な成功である。
- 聖とは、たとえて言えば「力」、すなわち本質を貫く内的な力である。
- それはあたかも、百歩離れた的を射るようなものである。
- 矢が的まで届くのは君の努力の力である。
- だが矢が的の中心に当たるかどうかは、もはや君の力によるものではない。
用語解説
- 金声・玉振(きんせい・ぎょくしん):古代中国の音楽理論で、楽章の冒頭と結末を飾る象徴的な音。始まりと終わりの完成美を意味する。
- 条理(じょうり):物事の筋道、道理、秩序。始める=構造化、終える=完成の意。
- 智(ち):知恵、論理、知識による思考・行動。
- 聖(せい):道徳と人格の完全性をもつ存在。人を導く内面的完成。
- 功(こう):技術的な成果や器用さ。
- 力(りょく):精神的・倫理的な強さ。
- 百歩の外に射る:大きな挑戦や、遠く困難な目標を象徴する比喩。
- 中る(あたる)/至る(いたる):努力して目標に近づくことと、最終的な成果の違い。
全体の現代語訳(まとめ)
「集大成」とは、物事の始まりを厳かに整え、最後には美しくまとめ上げることである。
始めることは知恵の働きであり、終わらせることは聖なる徳によるものだ。
知恵は技術や手法の完成であり、聖なる徳は内面的な完成である。
それはまるで百歩の距離から矢を放つようなものであり、矢を届かせるのは努力でできるが、的の中心に当てるのは運命や天意にも似た要素が関わる。
つまり、集大成とは、知によって始まり、聖によって完成する究極の到達点である。
解釈と現代的意義
この章句は、「プロジェクトの始まりと終わりの質」が、真の完成においていかに重要かを哲学的に説いています。
- 「始め」は論理的な計画・知的設計によって行われる(=智)。
- 「終わり」は人間的・精神的な完成、あるいはその集大成(=聖)によって達成される。
- 最後の比喩「百歩の外から射る」は、「努力と結果の関係」における謙虚さを表している。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「始まりの設計(智)」と「終わりの完成(聖)」は異なる力が必要
→ 企画フェーズでは分析・論理・計画力が問われ、終盤ではリーダーシップ・判断・人間性が試される。 - 「努力と結果を分けて考える姿勢」
→ どんなに努力しても最終成果に至らないこともある。そこに自責と謙虚さのバランスが必要。 - 「集大成には技術だけでなく、人格が必要」
→ 最終成果を“美しく締めくくる”には、思いやり・倫理観・共感など、人間的な力が不可欠。 - 「全体設計から完成までを導くリーダー像」
→ 一流のリーダーは、企画と実行、構築と終結、論理と感性、すべてを統合して導く存在。
ビジネス用の心得タイトル
「始めは智、終わりは聖──技と徳が調和する真の完成」
この章句は、プロジェクトや組織運営、さらには人生そのものにおける「始めと終わりの質」の大切さと、成功の陰にある見えない徳の働きを教えてくれます。
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