S工業の従業員数は約500名。調査のために訪問し、社長室で社長の話を聞いた。机の中央には、同じ形式の書類が約20センチの高さに積み重ねられていた。
見るとそれは日報で、なんと22冊もあった。思わず驚かされた。社長がこんな無駄とも思える書類をいちいち目を通すわけもなく、そもそもそんな時間があるはずもない。
話を聞くと、事務の合理化を進め、社長に会社内のすべての情報を毎日迅速に報告するために、最近会計機を4台導入し、専属の担当者を6名配置して計算を行っているという。まさに形だけは完璧に近い報告制度と言える。
そこで社長に尋ねてみた。「あの日報の中で、特によく目を通すものはどれですか?」と。すると社長は「売上日報を見るだけだよ」と答えた。その言葉に深く同意した。
もし自分がその会社の社長だったとしても、日報で見るのは売上だけだろう。というのも、その会社は標準品を継続的に生産しており、品種、価格、材料費、外注工賃といった要素はすべて決まっている。社長としては、売上の動きさえ把握していれば十分だからだ。
経営者として、あるいは幹部としても同様に重要なのは、「これさえ押さえておけば大局を見誤ることはない」という最小限の情報に集中する姿勢だ。その情報だけを見極め、判断に必要な核心を把握すること、いわば「ツボを押さえる」ことが本質だといえる。
ここまでは社長として立派な判断をしている。しかし、問題はその後にある。社長が目を通さない32種類の日報は完全に無駄でありながら、それを放置している点だ。無用なものを見直さない姿勢こそが課題と言える。
私は社長に「こんな無駄な報告書はやめさせたらどうですか」と提案した。すると社長は「せっかく一生懸命作っているし、何か他の役に立つこともあるかもしれないから」と答えた。その返答には人情味を感じるが、厳しい経営の現実を見据えた判断からは少し外れているように思えた。
私の知人に、中堅企業で素晴らしい業績を上げている専務がいる。彼は必要な情報があるときだけ部下に指示を出す。そして、部下が「それならもう作ってあります」と答えると、「作れとも言わない資料をなぜ作る? お前の部署はよほど暇があるようだな。減員だ」と容赦なく人員を削減したという。効率を追求する姿勢が徹底しているエピソードだ。
資料というものは、明確な目的を持ち、かつ上司が要求したものだけを作るべきだ。それ以外の資料を作るのは無駄でしかない。原始記録は日常業務の中で自然に蓄積されていくものであり、それさえしっかり整備されていれば、必要なときにいつでも資料を作成できる。目的が曖昧な資料に労力を割くべきではない。
この事例は、企業内での情報管理とその効率化についての問題を浮き彫りにしています。S工業の社長が、形式的に完璧に近い報告制度を整えたものの、その結果として、実際には不要な日報が大量に作成されており、そのために多くの労力が無駄に消費されている状況が描かれています。
社長自身が売上日報だけを確認しており、それ以外の日報は実質的にムダであると認識していますが、他の部門の従業員は「作成すること」が目的となり、必要もない情報を作成し続けているという点です。こうした「情報の過剰供給」は、企業にとって無駄なリソースを消費し、効率的な運営を妨げる原因となります。
このように、経営者や幹部は「最小限の情報」を見て、業務を効率的に進める姿勢が重要です。不要な資料を作成し続けるのは、時間や労力を浪費するだけでなく、社員を無駄に忙しくさせてしまい、実際の経営に必要な行動を妨げることになります。そのため、必要な情報のみに焦点を当て、効率的な情報共有を実現することが、業績向上に繋がります。
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