目次
🔖 原文(日本語訳)
「村において、林において、快感や苦痛に触れられた人は、
それを自分のせいにしてもならぬし、他人のせいにしてもならぬ。
迷いの条件に依存して、触れられる事物が触れるのである。
迷いの条件の無い人に、触れられる事物の触れることがどうしてあろうか?」
――『ダンマパダ』第5章「愉楽品」第51偈
📝 逐語訳と要点解説
- 快感や苦痛に触れられた人:喜びや痛み、嬉しさ・悔しさといった感情・感覚に巻き込まれた人。
- 自分や他人のせいにするな:それを「私が悪い」「あの人のせいだ」と責任の所在を固定するな。
- 迷いの条件(moha-paccaya):無明や執着など、心が真理を見失っている状態。
- 触れられる事物(phassa):五感や心によって接触される対象、そしてその結果生じる感覚。
🧩 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
迷いの条件(paccaya) | 仏教における「縁起」の基本概念。事象は独立して起こるのではなく、条件(縁)によって生起する。 |
触れられる事物(phassa) | 対象(色・音・香など)との接触によって生じる感覚。心の反応の出発点。 |
無我・縁起 | 「自分で起こしたわけでもなく、他人によるものでもなく、あらゆるものは条件により生起する」という仏教の中心教義。 |
🌐 全体の現代語訳(まとめ)
私たちは、都会にいても、山奥にいても、
喜びや苦しみに触れることがある。
だが、それを「自分が悪い」「誰かのせいだ」と
責める必要はない。
すべては、迷いと執着という条件があるからこそ起こるもの。
その条件が消えたとき、
何が心に触れても、それに苦しみとして反応することはなくなる。
💡 解釈と現代的意義
この偈は、仏教の核心「縁起」「無我」「中道的思考」を端的に表しています。
- 人は、苦しみや喜びに直面すると、原因を「自分のせい」「あの人のせい」と探します。
- しかし、仏教はその因果を「条件による連鎖の結果」と見ます。
- 誰かを責めるのではなく、条件そのものを見つめることが、苦からの解放につながるのです。
この考え方は、現代のメンタルケアやマインドフルネス、感情マネジメントにも通じます。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 解釈・応用例 |
---|---|
クレーム対応 | 問題が起きた時、「誰の責任か」ではなく、「なぜこの条件が生まれたか」に焦点を当て、改善に活かす。 |
自己評価・反省 | ミスや失敗を過度に「自分のせい」として抱え込まず、「条件・状況の連鎖」として冷静に見直す。 |
チーム内の対立 | 「あの人のせいだ」と断定せず、構造的・心理的な前提条件(文化・制度)を整理して対話する。 |
リーダーシップ | 個人非難を避け、全体を見渡して本質的な因果を見抜く「縁起的視点」が求められる。 |
✅ 心得まとめ
「苦しみは“誰かのせい”ではなく、“条件の結果”である」
人は、感情や状況に飲まれると、
すぐに原因を“自分”か“他人”に押しつけたくなる。
だが、仏陀はそれを戒める。
苦も喜びも、無数の条件が重なって生じているだけ。
条件が変われば、感情も変わる。
ならば、私たちにできるのは、
条件(心の持ちよう・環境・行動)を整えることなのだ。
この偈は、「真理へのまなざし」の転換点でもあり、
次なる実践章句につながる橋渡しのような意味も持ちます。
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