孟子は、戦争の巧みさを誇る者を「大罪人」と断じた。
なぜなら、本来、仁をもって国を治める者に敵はなく、人民は皆、平和と正義を望んでいるからである。
かつて殷の湯王が南方に軍を進めると、北方の民が「なぜ我々を後回しにするのか」と嘆き、東へ進めば西の者が同じように願った。
それは戦を求めたのではなく、正義によって自分たちの国を正してほしいと切に願っていたからである。
周の武王が殷を伐ったとき、わずかな兵力しか持たなかったが、彼は「恐れることはない。あなた方を安らかにするために来たのだ。敵は人民ではない」と語りかけた。
この誠の言葉に、殷の民はみなひれ伏した。
征(せい)とは「正す」ことであり、戦って屈服させることではない。
人民は皆、それぞれの場で自らの国を正しくしたいと願っているのだ。だからこそ、戦を用いる必要などない。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)有(あ)り曰(いわ)く、我(われ)善(よ)く陳(じん)を為(な)し、我(われ)善(よ)く戦(たたか)いを為(な)す、と。大罪(たいざい)なり。国君(こくくん)仁(じん)を好(この)めば、天下(てんか)敵(てき)する無し。南面(なんめん)して征(せい)すれば、北狄(ほくてき)怨(うら)み、東面(とうめん)して征(せい)すれば、西夷(せいい)怨(うら)む。曰(いわ)く、奚為(なんす)れぞ我(われ)を後(のち)にする、と。武王(ぶおう)の殷(いん)を伐(う)つや、革車(かくしゃ)三百両(りょう)、虎賁(こほん)三千人。王(おう)曰(いわ)く、畏(おそ)るること無(な)かれ、爾(なんじ)を寧(やす)んずるなり。百姓(ひゃくせい)を敵(てき)とするに非(あら)ざるなり、と。崩(くず)るるが若(ごと)く厥角(けっかく)稽首(けいしゅ)す。征(せい)の言(げん)たる、正(せい)なり。各(おのおの)己(おのれ)を正(ただ)しくせんと欲(ほっ)するなり。焉(いずく)んぞ戦(たたか)いを用(もち)いん」
注釈
- 陳(じん)を為す…戦の陣立て、軍略のこと。
- 南面して征すれば~怨む…湯王が各方面に軍を進めたとき、他方の民が「なぜ私たちを後回しにするのか」と訴えた逸話。
- 虎賁(こほん)…勇猛な兵士。直訳では「虎のように奔る者」。
- 厥角稽首す(けっかくけいしゅす)…額を地につけてひれ伏す様子。誠意ある王に対して人民が心服したことを示す。
- 征とは正なり…征(征伐)の本義は「正す」ことであり、暴力や服従ではない。
- 各欲正己也(おのおの みずからを ただしくせんとほっす)…人々は皆、自国が正しく治まることを願っているという孟子の根本的な民本主義の思想。
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