太宗は、隋の滅亡の一因が、民より倉庫を重んじた統治にあったと見抜いた。
文帝は凶作の年に倉を開かず、飢えた人民を他所へ移して見殺しにした。
その結果、国庫は豊かになったが、民の心は離れた。
その富を受け継いだ煬帝は、奢り高ぶり、ついに国を滅ぼした。
国の倉庫は、民を救うためにこそある。
豊かな備蓄があっても、それが民のために使われなければ、災いの種となる。
国政の要は、民に食を行き渡らせることであり、財を貯め込むことではない。
民が苦しむとき、君主だけが満ち足りていても、何の意味があるのか。
真に国を思うなら、「民を積む」――すなわち、人を育て、暮らしを支えることに力を注ぐべきである。
■引用(ふりがな付き)
「凡(およ)そ国(くに)を理(おさ)むる者(もの)は、務(つと)めて人(ひと)に積(つ)むに在(あ)り、倉庫(そうこ)を盈(み)たすに在らず。古人(こじん)云(い)わく、『百姓(ひゃくせい)足(た)らざれば、君(きみ)孰(たれ)と与(とも)にか足らん』と。倉庫は但(ただ)凶年(きょうねん)を備(そな)うべし。此(こ)れを外(ほか)にして、何(なに)ぞ儲蓄(ちょちく)を煩(わずら)わさん」
■注釈
- 積むに在り…ここでは「人民を養い、豊かにする」ことを指す。人こそが国家の財であるとの考え。
- 百姓足らざれば、君孰と与にか足らん…「人民が困窮しているなら、君主は誰と共に豊かな生活を送るのか」という古語。
- 凶年…不作や災害などで飢饉となる年。
- 煬帝失国、亦此之由…煬帝が国を失ったのは、父が国庫ばかりを重視し、民を顧みなかったからという指摘。
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