孟子は、「民こそが国家の根本である」という思想を、明確かつ大胆に宣言している。
この章で説かれるのは、「民本思想」の核心であり、後の「易姓革命論」にまでつながる、孟子の政治哲学の真髄である。
孟子によれば、国家においては次のような順序がある:
- 最も貴いのは「民」(庶民、丘民)
- 次に貴いのは「社稷」(土地と穀物の神=国家そのもの)
- 最も軽いのが「君主」(為政者、天子)
この順序に基づいて、天子は民の支持によって選ばれ、天子が諸侯を任じ、諸侯が大夫を立てる。
つまり、全ての政治的正当性は、最下層に見える民から始まるのである。
さらに孟子は、**為政者が道に背き、国を危うくすれば、「変置=廃して入れ替えてもよい」と明言する。
この考えは、中国における「天命は徳ある者に宿る」「徳を失えば天命も失われる」**という王朝交替の正統理論(易姓革命)につながる。
また、祭祀においても、すべてを整えて神に祈ってもなお天災が続くならば、社稷の神すらも取り替えるという。
これは、形式ではなく実効が問われるという孟子の宗教観・政治観の表れでもある。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、民(たみ)を貴(たっと)しと為(な)し、社稷(しゃしょく)之(これ)に次(つ)ぎ、君(きみ)を軽(かる)しと為(な)す。是(こ)れの故(ゆえ)に丘民(きゅうみん)に得(え)られて天子(てんし)と為(な)り、天子に得られて諸侯(しょこう)と為り、諸侯に得られて大夫(たいふ)と為る。諸侯、社稷を危(あや)うくすれば、則(すなわ)ち変置(へんち)す。犠牲(ぎせい)既(すで)に成(な)り、粢盛(しせい)既に潔(きよ)く、祭祀(さいし)時を以(もっ)てす。然(しか)るに旱乾(かんかん)・水溢(すいいつ)あれば、則ち社稷を変置す」
注釈
- 民を貴しと為す…最も重要な存在とする。政治の正統性は民に根差す。
- 社稷(しゃしょく)…国家の象徴。土地神と穀物神を祀ることで国体を維持する儀礼的・精神的基盤。
- 君を軽しと為す…統治者であっても民の幸福に反するならば、位置は最も軽い。
- 丘民(きゅうみん)…広く天下の庶民。草の根の民意。
- 変置(へんち)す…取り替える、廃して入れ替える。
- 犠牲既に成り、粢盛既に潔し…祭祀の準備が完璧であるにもかかわらず。
- 旱乾・水溢…干ばつや洪水といった天災。神の不徳と見なされれば、社稷も改められる。
1. 原文
孟子曰、民為貴、社稷次之、君為輕。
是故得乎丘民而為天子、得乎天子為諸侯、得乎諸侯為大夫。
諸侯危社稷、則變置。犠牲既成、粢盛既潔、祭祀以時、然而旱乾水溢、則變置社稷。
2. 書き下し文
孟子(もうし)曰(いわ)く、民(たみ)を貴(たっと)しと為(な)し、社稷(しゃしょく)之(これ)に次(つ)ぎ、君(きみ)を軽(かる)しと為す。
是(ここ)を以(もっ)て丘民(きゅうみん)に得(え)られて天子(てんし)と為(な)り、天子に得られて諸侯(しょこう)と為り、諸侯に得られて大夫(たいふ)と為る。
諸侯、社稷を危(あや)うくすれば、則(すなわ)ち変置(へんち)す。犠牲(ぎせい)既(すで)に成(な)り、粢盛(しせい)既に潔(きよ)く、祭祀(さいし)時(とき)を以(もっ)てす。然(しか)るに旱乾(かんかん)・水溢(すいいつ)あれば、則ち社稷を変置す。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 民為貴、社稷次之、君為輕。
→ 民が最も尊く、社稷(国家・宗廟)がそれに次ぎ、君主はもっとも軽い。 - 是故得乎丘民而為天子、得乎天子為諸侯、得乎諸侯為大夫。
→ それゆえ、民に支持されて天子となり、天子に支持されて諸侯となり、諸侯に支持されて大夫となる。 - 諸侯危社稷、則變置。
→ 諸侯が国家を危うくするならば、その地位を取り替える(交代させる)。 - 犠牲既成、粢盛既潔、祭祀以時。
→ 供え物も整い、神饌も清らかで、祭祀も正しい時に行われていた。 - 然而旱乾水溢、則變置社稷。
→ それでも干ばつや洪水が起きるならば、社稷(神の加護)を祀る体制自体を変える(祭祀の場や内容を改める)。
4. 用語解説
- 民(たみ):国民・庶民。政治の最終的な対象・支え。
- 社稷(しゃしょく):国家とその守護神(社=土地神、稷=穀物神)、転じて国家制度・宗教的象徴。
- 丘民(きゅうみん):地方の一般庶民。民の代名詞。
- 得る:支持を得ること。ここでは「その地位につくにふさわしい評価を得る」意。
- 犠牲(ぎせい):供え物としての動物のいけにえ。
- 粢盛(しせい):祭祀のための精米や神饌。
- 旱乾(かんかん):干ばつ。
- 水溢(すいいつ):洪水。
- 変置(へんち):地位や制度、構造を変更すること。ここでは「体制変更」または「交代」の意。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう言った:
「民が最も尊く、その次が国家(社稷)、君主は最も軽い存在である。
だから、民に支持されてこそ天子になり、天子に支持されてこそ諸侯となり、諸侯に支持されてこそ大夫になれる。
もし諸侯が国家を危うくするなら、その地位は改められる。
供え物が整い、祭祀の準備が万全で、時を守って儀式をしていても、それでも天災が続けば、国家の祭祀そのものが変えられる。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、孟子の政治思想の核心である「民本主義」を明確に示しています。
孟子は、政治の正統性は民意によって与えられると考えました。
天子も諸侯も大夫も、それぞれ**“上”からではなく“下”からの承認”**によって地位が決まるのです。
また、**形式的な正しさ(祭祀の正しさ)**があっても、結果(民の幸福・自然の調和)が伴わなければ体制は変えられるという点が非常に重要です。
つまり、結果責任と民意を重視した統治思想が、この章に込められています。
7. ビジネスにおける解釈と適用
「リーダーは“上に立つ者”ではなく、“支えられる者”」
- 役職や権限は形式にすぎず、本質的には**“支持と信頼”によって成り立つもの**。
- 社員=民の信頼がなければ、社長であってもその地位は空虚となる。
「形式的に正しくても、結果が伴わなければ改革される」
- 報告書を整え、会議を開催し、社内ルールを守っていても、成果が出ず、社員が疲弊していれば組織体制は問われる。
- 「やるべきことはやっている」ではなく、「やるべき目的が達成できているか」が問われる。
「信任は下から得よ──権威は後天的」
- 天子 → 諸侯 → 大夫の順ではなく、民 → 天子の順で信任が上へと伝播する。
- 現代企業も、「顧客 → 社員 → 経営陣」の信任の連鎖がなければ、ブランドも存続も危うくなる。
8. ビジネス用心得タイトル
「民を以て本と為す──支えられてこそ立場がある」
この章句は、「支配されるべきもの」ではなく「支えるべきもの」としての民の価値を最重視する孟子の思想を、制度・信任・改革の観点から明示した重要な一節です。
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