人の心に策略やたくらみがなくなると、
まるで月が澄みわたるように、風までもが清らかに感じられてくる。
人生は、決して苦しみに満ちた海ばかりではない。
心が欲望から離れてさえいれば、
たとえ街中にいても、車馬の喧騒が気にならなくなるものだ。
本当に静けさを求める心があるなら、
必ずしも山奥にこもり、俗世を避ける必要はない。
静寂は、外に求めるものではなく、
自らの心のあり方によって手に入るのだ。
原文とふりがな付き引用
機(はたら)き息(や)む時(とき)、便(すなわ)ち月(つき)到(いた)り風(かぜ)来(きた)る有(あ)り。
必(かなら)ずしも苦海(くかい)の人世(じんせ)ならず。
心(こころ)遠(とお)き処(ところ)、自(おの)ずから車塵(しゃじん)馬迹(ばせき)無し。
何(なに)ぞ痼疾(こしつ)の丘山(きゅうざん)を須(もち)いん。
注釈
- 機(はたらき)息む:策略や欲望を離れる。心の計らいが止むこと。
- 月到り風来たる:自然の美しさが心に沁みるようになるたとえ。
- 苦海の人世:仏教的な比喩で、人生を苦しみの海とする見方。
- 心遠き処:心が欲望や喧騒から離れている状態。
- 車塵馬迹(しゃじんばせき):人の往来の多いにぎやかな世間。車や馬の轍(わだち)と塵(ちり)=俗世の喧噪。
- 痼疾の丘山(こしつのきゅうざん):隠者のように山奥に住むことを「やまい」のように愛してやまない状態のこと。比喩的に「隠遁生活」への固執。
1. 原文
機息時、有月到風來、不必苦海人世。心遠處、自無車塵馬迹。何須痼疾丘山。
2. 書き下し文
機(はたらき)息(や)む時、便(すなわ)ち月到(いた)り風来(きた)る有(あ)り。
必(かなら)ずしも苦海(くかい)の人世(じんせ)にあらず。
心(こころ)遠(とお)き処(ところ)、自(おの)ずから車塵馬迹(しゃじんばせき)無し。
何(なん)ぞ痼疾(こしつ)の丘山(きゅうざん)を須(もち)いん。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「心のはたらき(=雑念・欲望)が静まるとき、自然と月が届き風が吹き、心に清らかな風景が現れる」
- 「そこが人世(俗世)の苦しみの海であっても、かまわない」
- 「心が遠く高みにあるとき、都会の喧騒(車の塵や馬の足跡)など自然と気にならなくなる」
- 「それなら、わざわざ山にこもって俗世を避ける必要などあるだろうか?」
4. 用語解説
- 機息(きそく):心のはたらき=欲望・分別・計算が止むこと。
- 月到風來(げっとうふうらい):清らかで自然な境地。月が届き風が吹く=無為自然の象徴。
- 苦海人世(くかいじんせ):俗世のこと。欲と苦しみに満ちた世界の比喩。
- 心遠處(しんえんのところ):心が俗事から遠ざかった状態。
- 車塵馬迹(しゃじんばせき):車の埃や馬の足跡。騒がしく俗っぽいものの象徴。
- 痼疾丘山(こしつきゅうざん):「丘山への痼疾(こしつ)」=山林にこもることをやめられない性癖(=隠者趣味)への皮肉。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
心の雑念が静まりさえすれば、そこには月の光が届き、風が心地よく吹いてくるような清らかな世界が現れる。
それがたとえ人の世、つまり欲望や苦しみに満ちた俗世であっても関係ない。
心が高く澄んでいれば、都会の喧騒や煩わしい人間関係すら気にならなくなるのだ。
それならば、わざわざ山林にこもって俗世を逃れる必要など、いったいあるのだろうか?
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「本当の清らかさは外ではなく、内にある」**という極めて禅的な思想を表しています。
- 静かな山に逃げても、心が騒いでいれば意味がない
- 都会にいても、心が澄んでいれば、それは山にいるのと同じ
- 重要なのは**「環境」ではなく「心の構え方」**である
- 外界を整えることよりも、内面を整えることの方が根本的かつ即効性がある
これは、仏教の「即心即仏」、道家の「無為自然」、儒教の「誠意正心」といった思想と深く通じます。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ “心の構え”次第で、職場も山居に変わる
- 雑音・会議・人間関係に囲まれていても、心を澄ませれば静寂は訪れる。
- マインドフルネスや呼吸法、瞑想的態度の意義。
✅ 「働き方改革」は環境だけでなく、心の状態から
- オフィス改革よりも、「集中できる心の土台」があってこそ意味がある。
✅ “動じない心”を養えば、どこでもリーダーになれる
- 静かさを“外に求める”のではなく、“内に築く”。これが真のマネジメント。
8. ビジネス用の心得タイトル
「心が澄めば、喧騒も静寂──外に逃げるな、内に整えよ」
この章句は、都市型勤務者向けマインドセット研修や、“心の在り方”を整えるセルフマネジメントセッションの中核に据えることができます。
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