人の心には、言葉にしがたい「真実の境地」、
いわば悟りのような深い静けさと充足の世界がある。
この境地に至るとき、人は琴や笛などの音楽に頼らずとも心が安らぎ、
香やお茶がなくとも、清らかで芳しい気分が自然と湧き上がってくる。
この境地に至るには、まず心から雑念を取り払い、
欲望や執着を離れ、地位や物へのこだわりを断ち、
さらには自分の身体の存在さえ忘れるほどに、
澄みきった心の状態を目指す必要がある。
そうして初めて、人はこの「真境」の中に入り、
自由に、そして穏やかに、その世界を遊び楽しむことができるのだ。
「人心(じんしん)に個(こ)の真境(しんきょう)有(あ)り、糸(し)に非(あら)ず竹(ちく)に非ずして、自(おの)ずから恬愉(てんゆ)し、煙(えん)ならず茗(めい)ならずして、自ずから清芬(せいふん)あり。須(すべか)らく念(ねん)浄(きよ)く境(きょう)空(むな)しくして、慮(おも)いを忘れ形(けい)を釈(しゃく)くべし。纔(わず)かに以(もっ)て其(そ)の中に游衍(ゆうえん)するを得(う)ん。」
悟りとは、何か特別な経験や知識によって得るものではなく、
心の雑音を静め、何も足さず、ただ「在る」ことで現れてくるもの。
それは、音も香りもいらない、
“本来の自分”が最も満ち足りている状態なのである。
※注:
- 「真境(しんきょう)」…悟りのような真の境地。静かで満たされた心の世界。
- 「糸に非ず竹に非ず」…琴や笛など、外的な刺激に頼らずとも内面の充足を得ること。
- 「恬愉(てんゆ)」…心が静かで穏やか、落ち着いていること。
- 「清芬(せいふん)」…清らかで芳しい気分。香りのように心を包む充足感。
- 「念浄く境空しく」…心にとらわれがなく、環境に執着がない状態。
- 「形釈く」…身体の存在すら意識せず、心が自由になっていること。
- 「游衍(ゆうえん)」…心のままに自由に遊び、楽しむこと。内なる世界の安らぎ。
原文
人心有個眞境、非絲非竹、而自恬。
不煙不茗、而自淸芬。
須念淨、境空、慮忘、形釋、纔得以游衍其中。
書き下し文
人心に個(ひとつ)の真境あり、糸に非ず竹に非ずして、自ずから恬(てん)たり。
煙ならず茗(ちゃ)ならずして、自ずから清芬(せいふん)あり。
須らく念は浄く、境は空しく、慮(おもんばかり)は忘れ、形は釈くべし。
纔(わず)かに以て其の中に游衍(ゆうえん)するを得ん。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
「人の心には“真の境地”がある。それは楽器の音でも、音楽でもないのに、自然と心が穏やかになる」
→ 外的刺激がなくても、内面から満ちる静けさと安らぎ。
「香や茶の香りでもないのに、自然と清らかな香気が漂う」
→ 物理的な香りや楽しみではなく、心の状態そのものがもたらす“内なる清らかさ”。
「その境地に至るには、思いを清らかにし、外界を空と見なし、思慮を忘れ、肉体の感覚からも離れなければならない」
→ 執着・感情・感覚を手放して、はじめてその“真境”の中を自由に漂うことができる。
用語解説
- 真境(しんきょう):心の奥深くにある真の安らぎと美しさの境地。感覚や形を超えた「精神的静寂」。
- 絲竹(しちく):音楽や娯楽の象徴。琴や笛などの楽器。
- 恬(てん):静かで落ち着いた心の状態。恬淡。
- 煙(えん)・茗(めい):香煙や茶の香り。物理的・感覚的な快楽の象徴。
- 清芬(せいふん):清らかで芳しい香り。ここでは“精神的な香気”を意味する。
- 慮忘れ形釋く(りょをわすれてかたちをとく):思慮を忘れ、肉体的感覚からも自由になること。
- 游衍(ゆうえん):自由に遊ぶように漂うこと。ゆったりとした精神の流れ。
全体の現代語訳(まとめ)
人の心には、形あるものに頼らずとも自然と穏やかになれる「真の境地」がある。
それは音楽や香のような外的刺激ではなく、内側から湧き出る静けさや清らかさである。
この境地に至るには、思いを清め、心の状態を空にし、思慮や感覚の執着から離れることが必要であり、
そうしてこそ、その深く静かな心の世界を、自由に遊ぶように味わうことができる。
解釈と現代的意義
この章句は、**「外的な楽しみではなく、心の中にある“静寂の美”こそ真の安らぎ」**という、東洋思想の核心を語っています。
- 心を整えれば、“何もなくても満ち足りる”世界がある。
- それは知識でも感覚でもなく、自己の奥にある静かで明るい空間。
- 現代社会のように「情報・物・刺激」に囲まれた世界でこそ、このような“内的リソース”への気づきが重要です。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
1. 「静けさは最大の生産性資源」
集中力、洞察、創造力は、内なる静寂から生まれる。
デジタルデトックスや意識的な“ノンアクション時間”を設けることで、この「真境」に触れやすくなる。
2. 「ブランディングは“空気感”が勝負」
真の価値あるブランドとは、ロゴや広告ではなく、**“触れたときの空気感”**で伝わる。
清らかで本質的な“在り方”こそ、現代の顧客が求める体験。
3. 「リーダーに必要な“静かな知性”」
知識を詰め込むだけでなく、内なる整いが周囲に安心感・信頼感を生む。
話さずとも「在るだけで場を調える」人物が、真のリーダーである。
ビジネス用の心得タイトル
「静かなる内にこそ、真の力は宿る──“無音の美”が生む本物の信頼」
この章句は、現代人にとって“心の原点”を見直すための格好の言葉です。
情報過多・思考過多の時代において、
「何もないように見えて、実はすべてが満ちている」
──そんな心の状態が、最も創造的で安定したビジネスと人生を支えてくれるのです。
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