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引用原文(日本語訳)
私自身の一部分は、生命界において、生命(個我)として永遠に存続する。
それは、プラクリティ(根本原質)に依存する、思考器官(意)を第六のものとする諸感官(六根)を引き寄せる。
(『バガヴァッド・ギーター』第15章 第7節)
逐語訳
私(神=至高存在)の一部分が、生命界(現象世界)において「生命(ジーヴァ、個我)」として永続的に存在する。
このジーヴァは、プラクリティ(自然・根本原質)に依存しており、
思考器官(マナス=意)を第六番目として、五感を含む諸感官(六根)を引き寄せて存在する。
用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
私自身の一部分 | 神(クリシュナ)という絶対存在の分霊、または内在する神性。 |
生命(個我、ジーヴァ) | 個別存在としての生命。人格を持ち、転生する主体。 |
プラクリティ | 自然界の根本原理。形ある世界を構成する物質的要素。 |
思考器官(意、マナス) | 心(判断・連想・意思)を形成する機能であり、五感とともに行動の土台となる。 |
六根 | 五感(視・聴・嗅・味・触)とマナス(意)を合わせた六つの認識手段。 |
全体現代語訳(まとめ)
神は、自らの一部をこの世界に送り込み、「個我(ジーヴァ)」として永遠に存在させている。
この個我は、物質的な世界(プラクリティ)に依存しながら、
五感と心(思考機能)という六つの器官を引き寄せ、生命として活動している。
解釈と現代的意義
この節は、「個人とは神の断片であり、物質世界における体験者である」という教えを示しています。
私たちは単なる肉体ではなく、神性の一端を帯びた存在であると同時に、
物質的構造(プラクリティ)に依存し、感覚と心を使って世界を経験しているのです。
したがって、自分自身の尊厳や使命は、目に見えるものだけに限定されるものではなく、
より深い根源から来ているという自己認識が求められます。
ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
自己の尊厳と信頼 | 自分という存在は「偶然の集まり」ではなく、意味ある一部として存在しているという信頼が、リーダーシップと倫理性を育む。 |
感覚に左右されすぎない | 五感や感情(マナス)を制御する訓練を持つことで、ブレない意思決定が可能になる。 |
本質との接続 | 日々の業務の中でも、自分が「なぜここにいて、何を担っているか」を思い出すことが、内発的動機につながる。 |
個の力と全体性 | 社員一人ひとりが「全体(組織・社会)」の価値の一部を担っているという感覚を持てば、責任感と連帯が生まれる。 |
心得まとめ
「私は全体の断片であり、世界を担う存在である」
自分の中には、神聖さと尊厳が宿っている。
そのことを忘れたとき、人は感覚に流され、心に迷い、他人や結果に振り回されてしまう。
だが、自らを“本質の一部”と捉え直すことで、
揺るがぬ軸と尊厳を持って、仕事にも人生にも向き合えるようになる。
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