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「長」には生殺与奪権の一部を与える

若い頃に勤めていたS社の社長は、典型的なワンマンタイプだった。会社のあらゆることが彼の指示で動いていた。

どんな伝票であろうと、すべて社長が目を通していた。社員寮の電話料金が多いと総務部長が激しく叱られ、現場で水道の蛇口がきちんと締まっておらず水が少しでも漏れていれば、設備課長が呼び出されて最低30分は怠慢を叱責される。製造部長が事務所で机に向かっていれば、「事務所に座っていて製造部長が務まるのか。現場に出て指揮を取れ」と一喝される始末だった。

そんな調子だから、管理職には実質的な権限など一切なかった。昇給やボーナスの査定まで、すべて社長が一人で決めていた。1500人もの社員を抱える会社でどうしてそれが可能だったのかというと、古参の社員――それも平社員か、せいぜい主任程度のポジション――を呼び出して話を聞いていたのだ。社員たちはその古参社員を「スパイク」と呼んでいた。

ボーナスは、社長室に一人ずつ呼び出され、お説教をたっぷり受けた後に手渡される。もらう側としては、まったく嬉しくない。ボーナス支給の日には、社長室の前にいつも10人ほどの社員が行列を作り、庶務係長が一日中その列を整理する羽目になっていた。

こんな状況だから、管理職という肩書きは名ばかりだった。課長は部長の指示を無視し、係長や主任も課長の指図を聞かない。一般社員に至っては、係長や主任の指示など完全に無視していた。会社全体がまさに「面従腹背」の状態で、生産性が上がるはずもない。品質の悪さからクレームが絶えず、混乱が続いていた。

社長が不在の間、社内は完全にだらけきっていた。しかし、社長が会社の正門をくぐった瞬間、その情報が瞬く間に全社に伝わる。一斉に機械の稼働音が高まり、管理職たちは全員工場に駆け込み、運搬工や検査工に早変わりする有様だった。ワンマン体制の恐ろしさとその影響を、私はこれでもかというほど目の当たりにした。

管理職とは、社長の手足となり実務を代行する役割を担う人々だ。しかし、どれほどその人物が優秀であったとしても、「優秀」というだけで「管理職として成果を上げられる」とは限らない。部下に対して影響力や威厳を持たせるものがなければ、管理職として機能しない。

「部下を掌握できていない」と管理職を批判する前に、部下に対して影響力を持たせる仕組みが与えられているかを考えるべきだ。その影響力とは、生殺与奪権の一部に相当するものである。具体的に言えば、昇給や昇進、ボーナスの一次査定権といったものだ。これらがなければ、管理職が部下を動かす力を持つのは難しい。

通常、賃金規定の中にはこの査定権が組み込まれている。この査定権は、単に昇給の判断にとどまらない。部下を効果的に使いこなすために欠かせない要件であることを、しっかりと認識しなければならない。

管理職の査定が多少不適切であったとしても、その修正は最終的に社長が行えば済む話だ。重要なのは、査定権を管理職に与えておくこと自体であり、これが部下を掌握するための鍵となる。

私がF社で課長をしていた頃、ある部下が私にこう言ったことがある。「課長なんて全然怖くないけど、課長が僕たちの昇給を査定するから、言うことを聞かないわけにはいかないですよ」と、まるで当たり前のように言い放った。その部下は、私の指示をしっかり守り、熱心に仕事に取り組んでいた。この言葉こそが部下の本音であり、それで十分なのだ。繰り返し強調したいのは、管理職に生殺与奪権の一部を持たせることが、組織運営の基本条件であるという点だ。

しかし、それが行き過ぎてしまい、管理職という立場の人間は、人々が理想的だと考えるすべての資質と能力を備えていなければならない、と勘違いされることがある。そして、その全てを無理やり管理職に求めるようになっている。

その一例として、「監督者の具備すべき条件」といった内容をマネジメントの文献で見ると、まるで監督者どころか製造部長、さらには重役でも務まるような高度な能力を要求していることに気づく。どう考えても常軌を逸していると言わざるを得ない。

監督者ですら非現実的な能力を求められるのであれば、管理職には一体どれほどの能力が必要だというのだろう。実際には到底あり得ないような能力を管理職に要求しているため、管理職に対する評価は批判一辺倒になりがちだ。その結果、彼らの能力や努力が正当に認められることはなくなってしまう。

管理職に対して過剰な期待を寄せることは、社長自身の誤りだと理解すべきだ。批判に終始するのではなく、部下を掌握するための生殺与奪権を持たせることこそが重要である。この権限を管理職に与えたうえで、部下に遠慮や気兼ねすることなく、自らの判断で自由に部下を動かすことを求めるのが正しいアプローチだ。

そうしなければ、管理職は自らに与えられた責任――繰り返しになるが、方針の実施責任――を全うすることができなくなる。この点を繰り返し強調し、管理職にしっかりと認識させることが重要だ。生殺与奪権を持たせなければ、組織は形だけの存在となり、実効性を失ってしまう。その危機感を管理職に深く理解させる必要がある。

管理職に生殺与奪権の一部を与えることの重要性

組織において管理職は社長の意図や方針を現場で実現する役割を持つ。しかし、管理職にその権限が与えられていなければ、部下を動かす力が弱まり、組織の秩序や生産性が低下する原因となる。ここでは、管理職に生殺与奪権の一部を持たせることが組織にとってどれほど重要であるかについて述べる。

1. 生殺与奪権がもたらす「にらみ」の力

管理職が部下に対して「にらみ」をきかせるためには、生殺与奪権、具体的には昇給や昇進、ボーナスの査定権が必要不可欠である。この権限を通じて、部下は管理職の指示に従わざるを得なくなり、組織の秩序や指導が徹底される。これは単に恐怖政治という意味ではなく、組織運営において不可欠な「実効性」を生む力といえる。

2. ワンマンコントロールの弊害

すべての権限が社長一人に集中していると、管理職が何の決定権も持たず、単なる伝言役に過ぎなくなる。このような状況では、管理職に対する部下の信頼や畏敬の念が欠如し、組織が機能しなくなる。社長の存在がいなければ社内がだらけきるといった現象も、こうしたワンマンコントロールの弊害である。

3. 過大な期待ではなく「権限」を重視する

管理職に過剰なリーダーシップやあらゆる能力を求めることは、非現実的であり、組織を運営する上で重要なポイントを見誤る原因となる。すべての能力を備えた完璧な人材は存在しないし、それを管理職に求め続ければ、管理職に対する不満が募るだけでなく、その士気も低下する可能性がある。重要なのは、まず「部下を動かす権限を与える」ことであり、その上で管理職が自分の判断で部下を指揮できる状況をつくることである。

4. 組織の名実を伴わせるための「責任と権限」

管理職が責任を果たすためには、その責任に見合った権限がなければならない。管理職に対して生殺与奪権を与え、それを通じて部下を掌握させることこそが、社長が方針を徹底させ、組織としての実効性を高めるために不可欠な手段である。

結論

管理職に生殺与奪権の一部を与えることは、彼らが組織の方針を徹底し、責任を果たすための根幹である。これにより、組織内に秩序が生まれ、実効性のあるマネジメントが実現する。

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