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正直さとは、融通のなさではなく、まごころの表れである
本当に正しい人は、他人のために柔軟に動ける あるとき孔子は、「微生高(びせいこう)はバカ正直な男だ」と評する声に対して、「誰がそんなことを言ったのか」と反論し、次のような逸話を紹介した。 ある人が酢(す)を借りに微生高のもとを訪ねたところ... -
憎むべきは悪そのものであって、人ではない
過去を引きずらず、怨みに囚われぬ心が、徳を生む 孔子は、殷から周へと王朝が移る激動の時代において、節義を守って餓死した伯夷と叔斉について次のように語った。「彼らはたとえ不正を見ても、その不正を働いた人そのものを憎むことはしなかった。また、... -
若者は原石――磨き育ててこそ、社会の宝となる
大志ある者にこそ、導きと実践が必要だ 孔子は理想の政治を求めて各国を巡っていたが、あるとき陳(ちん)に滞在していた際、こうつぶやいた。 「帰ろう。帰ろう。わが故郷・魯には、多くの若者が私を待っている。彼らは志は高く、気性もすぐれている。模... -
愚かに見える覚悟こそ、真の知者の証である
状況に応じてふるまいを変え、それでも志を失わぬ者が本物の賢者 孔子は、衛の名臣・甯武子(ねいぶし)について語った。「国に道(=正しい政治)があれば、彼は知者として見事にふるまった。しかし、道が失われたときには、人からは愚か者のように見えな... -
思慮は大切、だが動かなければ意味がない
考えることが美徳でも、過ぎれば判断力を鈍らせる 魯の大夫・季文子(きぶんし)は、何事にも慎重で、「三思(さんし)=三度も思案した上で実行する」と言われていた。これを聞いた孔子は、「そこまで思い悩む必要はない、二度考えれば十分だ」と述べた。... -
行動の美しさだけでは、仁者とは言えない
仁とは、知に裏打ちされた徳の完成である 弟子の子張は、二人の高名な人物について孔子にたずねた。 ① 楚の令尹・子文について 子文は三たび宰相に登用され、三たび解任されたが、一度も喜怒の感情を表に出さず、政務の引き継ぎもしっかり行っていたという... -
知とは、礼をわきまえることにあらわれる
形式を守ることは、知恵と品格のあらわれである 孔子は、魯の大夫・臧文仲(ぞうぶんちゅう)について、「知者だと評されているが、私はそうは思わない」と言い切った。その理由は、臧文仲が礼をわきまえず、本来諸侯だけが使用を許された亀卜(きぼく)用... -
親しさの中にこそ、礼と敬意を忘れない
時を経ても、互いを尊重し続ける関係こそ本物 孔子は、斉の名宰相・晏平仲(あんへいちゅう)についてこう語った。「彼は人とのつき合いにとても長けていた。時間が経っても、相手への敬意を失わなかったのだ」と。一般に、人は付き合いが長くなると馴れ合... -
人の上に立つ者に求められる、四つの徳
自らを律し、上を敬い、民に恵みを施し、義をもって使う 孔子は、鄭の名宰相・子産(しさん)について、「君子の徳を四つ備えていた」と称賛した。この「四つの徳」とは以下の通り: 行己恭(こう):自らの行動には常に慎みと礼をもって臨むこと。 事上敬... -
身分を超えて学ぶ者こそ、真に優れた人物である
学ぶことに上下はない。問いを恥じぬ者にこそ「文」の徳が宿る 子貢が孔子に、「孔文子(こうぶんし)はなぜ“文”という諡(おくりな)を得たのですか」と尋ねた。孔子はこう答えた――「彼は理解が早く、学ぶことを好み、自分より位の低い者にも教えを請うこ...