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人の力はそれぞれ異なる――だからこそ適材適所が必要だ
魯国の権力者・季康子(きこうし)が、孔子に尋ねた。 「仲由(ちゅうゆう=子路)は政治を任せるにふさわしいでしょうか?」 孔子は答えた。「子路は果断(かだん)にして勇気があり、決断力に富んでいます。政治を行うのに何の不足もありません」 次に「... -
仁を持ち続けること、それこそが最も困難で尊い道
孔子は、最愛の弟子・顔回(がんかい)の徳を称えるなかで、次のように語った。 「顔回は、何ヵ月ものあいだ、心が仁(じん)から外れることがなかった。だが、他の者たちはというと、仁の心を保てるのはせいぜい一日、あるいは一月といったところである」... -
生まれではなく、自分の行いが自分を決める
孔子は弟子の仲弓(ちゅうきゅう)に向かって、印象的なたとえを用いて語った。 「たとえその牛が、祭祀に使われない雑種(犂牛)の子であっても、赤く美しい毛並みと立派な角を備えていれば、たとえ誰かがそれを使わないと決めても、山や川の神々が見逃す... -
金の使い方にこそ、人の品格があらわれる
孔子の門弟・子華(し か、公西赤)は斉(せい)に使いに出かけた。彼の不在中、別の弟子である冉子(ぜんしゅう)は、子華の母への留守手当を先生に願い出た。孔子は「釜(ふ)一杯分の米(約五升七合)を」と指示したが、冉子はもっと多くと求めたため、... -
怒りを他人に向けず、過ちは繰り返さない――真の学び舎は心にあり
魯の哀公が、「弟子のうちで誰が最も学問を好んだか」と尋ねたとき、孔子はためらいなく顔回(がんかい)の名を挙げた。 顔回は、どんなに怒っても他人に当たり散らすことがなく、同じ過ちを繰り返すこともなかったという。まさに学問を心から愛し、日々の... -
自分には慎みを、他人には寛大さを
孔子は、弟子の仲弓(ちゅうきゅう)について、「彼は政治を任せられる器である」と称えた。その仲弓が、ある人物(子桑伯子)のことをどう思うかを尋ねたところ、孔子は「おおらかな人物であろう」と答えた。これに対して仲弓は、「自分に対しては慎み深... -
忠信だけでは足りない。学び続ける心が、真の成長と貢献を生む
勉強好きであることが、人格を高め、社会を良くする原動力となる 孔子はこう語った: 「十戸ほどの小さな村にも、きっと私のように忠実で誠実な人間はいるだろう。しかし、私ほど“学問を愛し、学び続けている者”はいないと思う。だからこそ、私は学びを通... -
自らの非を見て、心から悔い、改める勇気を持て
真の反省とは、他人に言われて気づくことではなく、自ら省みることにある 孔子は、世の中を見渡してこう嘆いた。「もう、仕方のないことなのだろうか。私は、自分の過ちに自ら気づいて心から悔い改める者に、いまだかつて出会ったことがないのだ」と。 こ... -
志を語ることで、自分のありたい姿を見つめ直す
志は、内なる方向性であり、言葉にすることで自らを律する力になる あるとき、孔子は弟子の**顔淵(がんえん)と子路(しろ)**とともに座していた。孔子はふと、「お前たちは、自分の志を言ってみないか」と促す。 まず子路が答えた: 「私は、車や馬、衣... -
表と裏が異なるふるまいは、君子の道に反する
言葉や態度が上手でも、心と一致していなければ、真の礼ではない 孔子は次のように言った。「言葉巧みに愛想よく振る舞い、顔には作り笑い、態度は過度に丁寧――そういう“礼の仮面”を、私は尊敬する左丘明(さきゅうめい)と同じく、恥ずべきものと思ってい...