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学びに打ち込む心、それが私のすべてだ
楚の国の重臣・葉公が孔子の人物像を知ろうとし、弟子の子路に尋ねたとき、子路は答えに迷い沈黙してしまった。それを聞いた孔子は、やや悔しげに、こう語った――「なぜこう言わなかったのか。私は学問が好きで、心が動けば食事すら忘れ、学びが楽しいと悩... -
古典は人の心を養い、行いを正す土台となる
孔子が日頃から熱心に語ったのは、詩(し)・書(しょ)・礼(れい)――すなわち、**詩経(しきょう)**によって感情を豊かにし、**書経(しょきょう)**によって歴史から学び、**礼(れい)**によって実践的な徳を養うことだった。これらは単なる知識の対... -
易経は未来を知るためではなく、自分を正すためにある
孔子は、「もし私にあと数年の命があるなら、易経を学びたい。そうすれば、大きな過ちを犯さずに済むだろう」と語った。これは、いわゆる“占い”としての易経に対する軽視ではなく、むしろそこに宿る深い人生訓・哲理を重んじた発言である。易経は単に吉凶... -
正しき生き方にこそ、ほんとうの喜びがある
孔子は、どれほど貧しく質素な暮らしであっても、自らが信じる正しい道を生きていれば、そこに真の楽しみがあると語った。粗末な食事に、水を飲み、肘を曲げて枕にするような生活――それでも心に満ちる充足感がある。逆に、道に反する行いで得た富や地位は... -
義に悖(もと)ることには加担しない――それが孔子の信念
衛の国で起きた政争をめぐり、弟子の冉有は「先生は衛君(出公)を支持するのだろうか」と子貢に問いかけた。それを受けた子貢は、孔子にさりげなく尋ねる。「伯夷・叔斉について、どう思われますか?」と。孔子は「古の賢人である」と答え、続けて「仁(... -
心を揺さぶる芸術は、人の感覚すら変える
孔子は、斉の国を訪れた際に、伝説の聖王・舜(しゅん)を讃える「韶(しょう)」の音楽に出会った。その美しさ、調和、そして深い精神性に心を奪われ、三か月もの間、肉を食べてもその味がわからないほど感動していたという。孔子は驚きを込めて、「まさ... -
語るに慎むべきことがある。それは命と心に関わる領域
孔子は、普段は率直に語る人物であったが、ある分野についてはことさら慎重だった。それは「宗教的儀礼」「戦争」「病気」の三つである。これらは人の命や心、運命に深く関わるものであり、軽々しく語るべきではないと孔子は考えた。だからこそ、これらの... -
富は天命。だからこそ、自分の信じる道を行く
孔子は、富について非常に淡々と、そして明確な価値観を示した。「もし富が自分の努力で確実に得られるものであれば、王侯の行列で鞭を持つような卑しい仕事ですら選ぶだろう」と語りながらも、「しかし、富は天から与えられる預かり物にすぎない」と続け... -
衝動よりも、慎重な計画と実行を尊ぶべき
孔子は、真に信頼できる人物とは、無鉄砲に突き進む者ではなく、時を見ては身を引き、機を得ては力を尽くす、冷静で節度ある人物だと説いた。顔淵には「用いられれば力を尽くし、見捨てられれば修養に励む、それができるのは我らだけだ」と語り、猪突猛進... -
心から人を思うなら、行動にも慎みが宿る
孔子は、悲しみにある人への思いやりを、ことさら言葉で語るのではなく、行動で示した。喪中の人の隣で食事をする時には、決して満腹になるまで食べず、その日、葬儀や法事で涙したなら、どんなに日常であっても歌を口ずさむことはなかった。それは、場の...