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高みを仰ぎつつ、尽くしても尽くせぬ学びの楽しさ
高弟・顔淵(がんえん)が、孔子を思って深く嘆息しながらこう語った。 「先生は、仰ぎ見れば見るほど、なお高くおられる。のみで岩を穿とうとしても、ますます硬くなるように、理解しようと近づくほどに、その深さに打たれる。目の前におられるかと思えば... -
相手の境遇に心を寄せる、それが本当の礼儀
孔子は、相手が誰であろうと、その立場や状況にふさわしい敬意をもって接することを徹底していた。 たとえば、喪服を着ている人、礼服をまとった人、目の見えない人に出会ったとき——たとえ相手が自分より年下であっても、孔子は必ず立ち上がり、きちんと敬... -
理想の世は来なくとも、志を曲げぬ覚悟がある
孔子が残した短くも深い言葉—— 「鳳(ほう)も現れず、河(か)も図(と)を出さない。私はもう——終わったかもしれない」。 この言葉には、理想を信じ続けてきた者の切実な嘆きと、それでも己の道を見失わない覚悟がにじんでいる。 古来より、「鳳鳥(ほう... -
知らないことは多い。でも、今ある知を惜しまず伝える
孔子は、自らを“物知り”と称されることに対して、はっきりと否定している。「私は物知りではない。知らないことだらけだ」と率直に述べたうえで、こう続ける。 「しかし、たとえ無知な者が私に何かを尋ねてきたなら、私は自分の持っている知識を出し惜しみ... -
「多才」であることより、「志を貫く力」が尊い
あるとき、位の高い官吏・大宰(たいさい)が孔子の弟子・子貢(しこう)に尋ねた。「孔子先生は、まさに聖人だ。あれほど多才でなんでもできるとは」と。 子貢はそれにこう答えた。「先生は天から与えられた資質を持ち、さらに多才でもあります」。 この... -
天が託した道なら、誰にも消せはしない
孔子が匡の地で、命の危険にさらされたときのこと。弟子たちが不安に包まれる中、孔子は落ち着いて、力強くこう語った。 「文王は亡くなったが、彼の築いた文化は私の中に生きている。もし天(てん)がこの文化を滅ぼすつもりなら、私がそれを学び、身につ... -
偉大さは、頑なさのなさに宿る
孔子は、いわゆる“人間くささ”を乗り越えた、極めて円満な人格の持ち主だった。その特徴は、「四つのことをしない人」——すなわち、 思い込みで動かない(意) 結果を決めつけない(必) がんこにならない(固) 自己中心にならない(我) という姿勢に表れ... -
礼は、意味を考えてこそ本物になる
孔子は、礼をただ形式としてではなく、「なぜそうするのか」という理由を深く考えながら実践した。たとえば、昔は「麻冕(まべん)」という染めた麻の冠をかぶっていたが、今は節約のために「純(じゅん)=白い絹の冠」を用いる。それには合理的な意味が... -
本当にできる人には、どこか愛嬌がある
達巷(たっこう)の村人は、孔子のことを「何でもできるが、何か一つに秀でているわけではない」と評した。これは一見、批判のようにも聞こえるが、孔子はむしろそれをおもしろがり、弟子たちの前で少し茶目っ気のある返しをした。「私も何か専門を決めて... -
利を追うにも、心と天命が伴ってこそ価値がある
孔子は「利(り)=利益」について、ほとんど語らなかった。語るときですら、それは単なる損得ではなく、「天命に従った結果」あるいは「仁=相手にとっても善であること」として位置づけられていた。つまり、自分だけが得をするような利には、孔子は価値...