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教えは、言葉よりも“姿”にあらわれる
孔子はある日、「私は、もう何も言葉で教えるのをやめようと思う」と弟子たちに語った。これを聞いた子貢(しこう)は驚き、「先生が何もおっしゃらないのなら、私たちは何を後世に伝えていけばよいのでしょうか」と問う。 孔子は、それに静かにこう答える... -
正しいものがゆがめられ、悪が力を持つことを憎む
孔子は、「邪(よこしま)」が「正(ただしさ)」を覆い隠す現象を強く憎んだ。それは、表面的には美しく見えても、本質を損なう危険な兆しである。 その例として挙げられたのが三つ: 紫(むらさき)が朱(あか)を奪う → 紫は間色(まじりもの)である... -
口先と笑顔だけの人に、真の「仁」はない
孔子は、言葉巧みに人に取り入り、作り笑いで愛想よく振る舞う者を厳しく戒める。そのような人物に、仁(じん)――すなわち思いやりと誠実さをもつ人間は、ほとんどいないという。 「巧言(こうげん)」とは、耳ざわりのいい言葉で人の心をつかもうとするこ... -
欠点にも“美質”があった時代を忘れてはならない
孔子は、昔の人々には確かに欠点(=三疾)があったが、それにも美徳が備わっていたと語る。しかし今の人々には、その美しい側面すら消え去り、欠点だけが露骨に残っていると嘆いた。 孔子が挙げた三疾とは、「狂(きょう)・矜(きょう)・愚(ぐ)」――い... -
志の低い人物と共に働けば、身を滅ぼす
孔子は、「鄙夫(ひふ)」――志が卑しく、人格が劣った者とは共に仕えるべきではないと強く戒めた。そのような者は、仕事や立場に対して私利私欲の視点しか持っていない。まだ地位を得ていなければ「どうやって得るか」ばかりを考え、一度手に入れれば「ど... -
うわべの知識を流すだけでは、徳を捨てるのと同じ
孔子は、人から聞いた話を深く考えることなく、そのまま次の相手に語るだけの人間を強く戒めた。「道すがら聴いて、道すがら語る」とは、自分の頭と心を通さず、情報をただ横流しにする態度のこと。 それは、知識や教えを咀嚼せず、実行にも生かさず、ただ... -
八方美人は、徳を損なう“偽善者”である
孔子は、**一見まじめで人当たりの良い「評判のいい人」**に対して、安易に信用するべきではないと厳しく戒めた。 「郷原(きょうげん)」――それは、どの土地でも「善い人」と言われ、誰にでも調子を合わせ、角を立てずに人気を得るが、信念や原則がない人... -
見かけ倒しの人間は、内実のないこそ泥と同じ
孔子は、外見だけ立派に見えても、内面に徳が伴わない者を強く戒めた。顔つきや態度が偉そうで、いかにも立派な人物のように振る舞っていても、その実、心が弱く、卑怯であれば、そんな者は下層の盗人と変わらない――と語る。 たとえ高い地位にあり、身なり... -
礼や音楽の本質は、形ではなく「心」にある
孔子は、人々が「礼が大事だ」「音楽が大事だ」と口にすることに対し、その“本質”を見失ってはならないと諭している。 「礼」といえば玉や帛(絹)といった贈り物の形式ばかりに目が行き、「楽」といえば鐘や鼓のような大きな楽器の音が連想される――しかし... -
基本を学ばなければ、その先は見えない
孔子は、実の子である伯魚(はくぎょ)に対し、詩経の冒頭二篇「周南(しゅうなん)」「召南(しょうなん)」を修めたかと問いかける。それらは、王公や大夫の夫婦生活、家庭の秩序を題材とし、「修身斉家(しゅうしんせいか)」――すなわち自らを修め、家...