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まずは待遇よりも志があるかが大切だ
志なき者に、仁は託せない 斉(せい)の国の君主・景公(けいこう)は、孔子を招こうとしたが、その待遇を巡って家臣と議論していた。「魯の国の上席である季氏ほどの厚遇は無理だが、季氏と孟氏の中間くらいならどうだろう」と言ったものの、最終的には「... -
今の場所でがんばってみる(正しい道を通すことをあきらめない)
正しさを曲げてまで、遠くへ行く必要はない 柳下恵(りゅうかけい)は、魯の国で裁判官(士師)として三度任命されながら、三度ともその職を解かれた。その姿を見て、ある者が「他国で仕えたらどうか」と勧めたところ、柳下恵は毅然として答えた。 正しい... -
仁の実践にはいろいろなやり方がある
それぞれの立場で、仁を貫いた三人 孔子は、殷王朝の末期に暴政を行った紂王に対して、三人の「仁」の人がそれぞれ異なる行動を選んだことに注目した。微子は身を引き、殷の祭祀を絶やさぬようにした。箕子は狂人を装い、奴隷となることで身を守った。比干... -
四十にしてなお人に嫌われる者は、もう改まりようがない
孔子は、人の成熟と人間関係の在り方について、次のように厳しく述べた。 「四十歳にもなって人に嫌われているようでは、その人はもう終わっている」。 ここで孔子が問題にしているのは、歳を重ねてもなお“人望が得られない”人格である。四十という年齢は... -
教養も節度もない者は、近づいても遠ざけても難しい
孔子は、教養や節度に欠けた者との接し方の難しさについて、次のように語った。 「教養のない女性(=淑女でない女性)と、小人(しょうじん)――つまり徳に乏しく利己的な人間は、扱いにくいものである。こちらが情をもって親しく接すれば図に乗り、距離を... -
君子であっても、憎むべき者はいる――“憎しみ”の背後にある倫理
弟子の子貢(しこう)が「君子も人を憎むことがありますか」と尋ねると、孔子ははっきりと「ある」と答えた。ただしそれは私的な感情による憎しみではなく、「徳や秩序を壊す行為」への道義的な拒絶である。 孔子が憎んだ四種の人物: 他人の悪を言いふら... -
勇気は「義」によって初めて価値あるものとなる
弟子の子路(しろ)が「君子は“勇”を尊ぶのでしょうか」とたずねたとき、孔子は明確にこう答えた。**「勇よりも“義(ぎ)”が上だ」**と。 孔子は、「勇」は確かに大切な徳であるが、それが「義」と結びつかなければ害をもたらすと説く。 地位のある者(君... -
働かず、学ばず、考えず ――それは人として最も惜しい生き方
孔子は、何も考えず、何も学ばず、ただ食べて時間を潰すだけの生き方を、強く嘆いた。そのような者は、せっかくの人生を無為に浪費していると批判している。 驚くべきは、孔子が「博奕(ばくえき)――さいころ遊びや囲碁のような娯楽」にさえも、「それすら... -
喪とは形式ではなく、親への深い恩に応える“心の時間”
弟子の宰我(さいが)は、孔子に問いかけた。「三年も喪に服すのは長すぎませんか? 君子が三年も礼楽を行わなければ、社会秩序が乱れてしまいます。穀物も火種も一年で巡るのですから、喪も一年でよいのではないでしょうか」。 これに対して孔子は、厳し... -
会わないことにも、教えと意図がある
ある日、魯(ろ)の人・孺悲(じゅひ)が孔子に面会を求めたが、孔子は病を理由にこれを断った。しかし、そのすぐあとで孔子は瑟(しつ:弦楽器)を奏で、歌を歌っている――つまり、病気というのは表向きの理由であり、実際には意図的に会わなかったことを...