-
徳は広く、信念は深く。中途半端では道は成らない
子張は、徳を修める上での心構えを戒めた。人としての徳が中途半端であったり、正しい道を信じる心が浅かったりすれば――それは、あってもないようなものであり、結果として何の力も持たない、と。 徳は一部だけで足りるものではない。信じる道も、一時の思... -
機に命を惜しまず、利に義を問う。これぞ士の道
子張は、士(し:人格と責任を備えた人)が備えるべき条件を説いた。それは、重大な局面では命を賭して責任を果たし、目の前に利益が現れたときは、それが道義にかなうかを第一に考えること。また、祭りに臨んでは心からの敬意を、喪においては深い哀悼の... -
盛徳の世には、才徳の士が集まる
良き時代が、人を育て、英雄を生む 周の王朝が隆盛を誇った時代には、一つの家から八人の英才(はっし)が現れたと伝えられている。その名は、伯達(はくだつ)、伯适(はくてき)、仲突(ちゅうとつ)、仲忽(ちゅうこつ)、叔夜(しゅくや)、叔夏(しゅ... -
理想のリーダーに求められる四つの心得
親しき者を忘れず、古きを捨てず、才に偏らず 周公旦(しゅうこうたん)は、自らの子である伯禽(はくきん)が魯公として赴任する際、治国の要諦を伝えた。それは、君子たる者(すなわち政治を司る者)が守るべき四つの戒めであった。 親族を顧みることを... -
政が乱れれば、文化もまた離れていく
音楽が乱れるとき、国もまた道を失う かつて、魯の国には音楽を司る優れた楽師たちが多く仕えていた。しかし政治が乱れ、道が失われたことにより、彼らは次々と国を離れ、各地に散っていった。 **大師の摯(し)**は斉へ。 **二度目の食事の楽を司る干(か... -
志に生きるにも、時と理に応じて歩む
時勢と道理を見極め、自らの道を定めていく 孔子は、かつての時代に「逸民(いつみん)」と呼ばれる世を避けた賢者たちが七人いたことを語る。彼らはそれぞれ、時代の中でどのように志を貫き、またいかにして身を処したか、その違いに注目していた。 まず... -
乱世にあっても、志の義を捨てない
身を守るより、義を通して生きる覚悟を選ぶ 旅の途中、子路(しろ)は孔子と一時はぐれ、ひとり道に遅れた。そのとき、杖にかごを掛けて農作業をする老人に出会い、「先生(孔子)を見かけませんでしたか」と尋ねた。老人は「口だけ動かし、体を働かさず、... -
志を語り合い、世を共に生きる覚悟
人の世を離れるより、人の世と向き合いたい 隠者とされる長沮(ちょうそ)と桀(けつ)が並んで畑を耕していたところを、孔子と弟子の子路が通りかかった。孔子は子路に川の渡し場の場所を尋ねるよう命じた。 長沮に尋ねると、彼は「馬車で手綱を取ってい... -
批判する者には自分の思いを語りたい
志を問われたとき、語らずにはいられない 楚の国に住む、狂人と称される男・接輿(せつよ)が、孔子の宿舎の前を通りかかり、風刺を込めた歌を歌った。その歌は、孔子を聖なる霊鳥「鳳凰」にたとえ、こう告げていた。 「鳳や鳳や、なぜこの乱れた世に姿を... -
政治よりも美女を好む主君には仕えない
国を治める意志なき者には、仁は尽くせない 孔子が魯の国で政治に参画すると、国は大いに治まり始めた。その変化を警戒した隣国・斉は、策略として美人八十人による楽団(女楽)を魯に送り込む。これを受け取った大夫・季桓子(きかんし)は、定公(ていこ...