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学びは人からも、時代からも、あらゆるところから得られる
衛の大夫・公孫朝が、子貢に尋ねた。「仲尼(孔子)は、誰に就いて学んだのですか?」と。 これに対して子貢は、こう答えた。「**文王・武王の道はすでに衰えてはいるが、地に落ちたわけではない。今も人の中に生きている。賢者はその大いなる道を知り、凡... -
君子の過ちは隠さず、改めることで信を得る
子貢は、君子の過ちについて、太陽や月の食(欠け)にたとえて語った。「君子の過ちは、あからさまである。隠そうとしないから、誰もがそれに気づく。だが、君子はそれをすぐに改める。すると人々は、改めた姿を見て、かえって君子を尊敬するようになる」... -
身を置く場所が、評判を決める。君子は悪名の集まる所を避けよ
子貢は、殷の暴君・紂王について語りながら、人がどのような環境に身を置くべきかを説いた。「たしかに紂王は悪政を行ったが、伝えられるようなすべての悪事を本当に行ったとは思えない。しかし、あまりに多くの悪を重ねたために、天下のあらゆる悪事が彼... -
人を裁くときこそ、哀れみの心を忘れてはならない
魯の大夫・孟氏は、曾子の門人である陽膚(ようふ)を司法長官(士師)に任じた。その任にあたって、陽膚は師である曾子に「どのような心構えを持てばよいか」と問うた。 曾子はこう答えた。「今の世の中は、為政者が道を失い、民衆の心はすでに長く乱れて... -
本当の孝とは、父の人を用い、父の方針を継ぐことにある
曾子は、孔子から聞いた話として、魯の大夫・孟荘子(もうそうし)の孝行を讃えた。曰く――孟荘子の孝の中で、一般的な行動は他人も真似できるかもしれない。しかし、父の側近たちをそのまま登用し、父の政治方針を改めずに継承したことこそが、「実に難し... -
真の感情を尽くせるのは、ごく限られたとき――親を失ったとき
曾子は、孔子から聞いた言葉を引きながら、人の感情の深さについて語った。人が自分の内にある真実の感情――「真情」や「誠意」を完全に表すことは、めったにない。それができるとすれば、最も深い情の対象である「親」を喪ったときなのではないか、と。 普... -
見た目は立派でも、内面が伴わなければ共には歩めない
曾子は、子張の外見的な立派さを一応は認めながらも、「ともに仁をめざす仲間にはなりにくい」と評した。その理由は、子張が外面を飾り、威圧的であったり、内面の誠実さに欠けていたからである。 「堂々たる姿」だけでは仁は育たない。仁をともに学び、実... -
才能があっても、誠と情がなければ仁には至らない
子游は、自身の友人である子張について語った。彼は「人にはなかなかできないようなことを成し遂げる能力の持ち主である」と認めつつも、「まだ仁の道には達していない」と断じた。 ここで言う「未仁」とは、誠意や人への情(人情・思いやり)に欠けている... -
喪には形式よりも、心からの哀しみを尽くすことがすべて
子游は、**人の死に際しての態度――「喪」**における本質を、端的に説いた。喪に服すときには、形式や儀礼の整いよりも、深い哀しみの誠を尽くすことが第一である。その他のもの、つまり飾りや制度、見た目の整いは、二の次でよいのだ。 大切なのは、亡き人... -
実務と学びは車の両輪。余力あるときに互いを磨け
子夏は、「仕えること(=実務)」と「学ぶこと(=知識や教養の習得)」のバランスについて語った。仕事に励み、十分に責務を果たせるようになったら、余力をもって学ぶべきであり、学問に精進し、力がついたならば、社会のために働くべきであると。 これ...