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幸せも慈悲も、遠くにはない。今ここにある
どんな人の中にも、大いなる慈悲――仏の心が宿っている。たとえそれが、菩薩と讃えられた維摩居士のような聖者であっても、あるいは牛馬を解体する者や、罪人の首をはねる者であっても、その本心には“二つの心”などなく、等しく慈悲の種が宿っている。 また... -
精神を一つに集中させ、まっすぐに進め
人格を高めたい、真に学問を身につけたいと願う者は、何よりまず精神を収めて集中し、その目標に向かって「一本道」でまい進すべきである。 もし「徳を修める」という本来の目的がありながら、途中で功績や名誉、他人からの評価といった世俗的な関心に心を... -
一歩進んで自分を磨き、一歩退いて人と和す
世の中で自分を立て、他の人から一目置かれる存在になろうとするなら、人より一歩高いところに抜け出し、一段上の視点と努力で自分を鍛え、磨かなければならない。そうでなければ、塵まみれの場所で衣を払い、泥の中で足を洗うようなもので、どれだけ気を... -
真に仁義を貫く者は、いかなる力にも屈しない
相手が富をもって威圧してきても、こちらは「仁」をもって応じる。相手が爵位や名誉、高い地位を振りかざしてきても、こちらは「義」、すなわち正しい道をもって対抗すればよい。 君子たる者は、たとえ君主や宰相のような権威者であっても、その言いなりに... -
考えすぎても、考えなさすぎても、バランスを欠く
心が細やかな人は、自分自身のことを深く考えるだけでなく、他人のことにも過度に気をまわしてしまい、何事も“重く濃く”なりがちである。一方で、心が淡白な人は、自分にも他人にも無関心になりやすく、すべての物事が“あっさりしすぎて”しまう傾向にある... -
欲望の一歩は崖、信念の一歩は道を遠ざける
人の欲望を満たす道は、手軽で楽に見えるが、「ほんの少しだけ」と軽い気持ちで手を出してしまうと、その一歩がやがて際限ない深みに変わり、ついには身を持ち崩し、奈落の底まで落ちてしまう。 一方、自分の信じる「道理にかなった生き方」は、たしかに険... -
若者の交友は、その一生を左右する
若者を育て導くことは、ちょうど箱入り娘を大切に育てるようなものである。日々の出入りをしっかり見守り、誰と交友を持つかに細心の注意を払う必要がある。もしこの配慮を怠り、一度でもふさわしくない人物と深く関わってしまったなら、それは、清らかな... -
最大の敵は他人ではなく、自分の心である
私たちの心には、常に魔のように誘惑し、乱そうとする存在がある。その魔を打ち倒したいなら、まずは外の何者でもなく、自分自身の心を制することが肝要である。心が服する――すなわち自己の内面が静まり、納得し、落ち着いたとき、外からのあらゆる悪意や... -
利口より、素朴に。飾りより、気骨を。
人に利口に見られようと、あれこれ小賢しく立ち回るよりも、素朴で実直な姿勢を貫いて生きるほうが、はるかにすがすがしく価値がある。私たち一人ひとりの中には、天地のもとから授かった「正気(せいき)」――すなわち根源的な命の力が宿っている。その正... -
相手が誰であれ、自分の品位と軸を失わない
つまらない人(小人)と接する際には、その無礼や理不尽に対して厳しく接することはたやすい。しかし、相手の言動を非難する一方で、その人間そのものまで憎まないようにするのは難しい。また、偉い人(君子)に対しては、自然とへりくだる態度になるのは...