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足るを知る人こそ、真に豊かで自由に生きる
贅沢に慣れてしまえば、どれほどの財産があっても「満足」には至らない。それでは、つつましく暮らしながらも、心にゆとりを持って生きる人に劣ってしまう。 能力がある人ほど、多くの労を重ね、かえって周囲の妬みや怨みを買いやすい。それならば、才に乏... -
心を澄ませて読む——知を己の欲に染めないために
書物を読むときは、まず自分の心を清め、素直な気持ちで向き合うことが何より大切である。でなければ、たとえ善行を目にしても、それを都合よく利用して自分の利益にしようとしたり、優れた言葉を聞いても、自分の欠点を覆い隠す道具にしてしまう。 そうな... -
自分も他人も、常に整っているわけではない——だからこそ、思いやりと理解が大切
人生には、順調なときもあれば、不調なときもある。心にもまた、穏やかなときもあれば、乱れてしまうときもある。それなのに、どうして自分の人生だけが、常に好条件であることを願い続けられようか?どうして他人ばかりに、自分の都合のよい態度を取り続... -
真の施しは、見返りを求めない心から生まれる
本当の「恩恵」とは、与えたことを自分でも意識せず、相手からの感謝すら期待しない時にはじめて、尊く価値あるものとなる。 どれほど小さな施しであっても、それが無欲で純粋な心から出たものであれば、万金に値する徳となる。逆に、施しの大きさを計算し... -
自分の善行は忘れ、他人の恩は忘れぬ心を持つ
人にしてあげたことはすぐに忘れ、人にしてもらったことは忘れない。この逆を行うと、人の徳は損なわれ、心の美しさも曇っていく。 人に恩を施しても、それを記憶し誇るべきではない。逆に、自分がかけた迷惑は忘れず、反省し、改める気持ちを持つべきであ... -
自分の道を貫きながらも、柔軟に生きる知恵を持て
時代が安定している「治世(ちせい)」には、正義や原則を明確にして、揺るがぬ信念で生きるのがふさわしい。しかし、混乱した「乱世(らんせい)」においては、無理に筋を通そうとせず、状況に応じて柔らかく身を処することも大切だ。 そして、現代のよう... -
幸せとは、事件のない日々をありがたく思えること
人はしばしば「何があれば幸せか」と考えるが、本当の幸福とは、実は「何もないこと」にある。心穏やかに、波風立たぬ日常を過ごせること――それが何よりの福である。 一方、不幸の根源とは何か。それは「欲が多いこと」「心に思いが多すぎること」にある。... -
陰での行いが、やがて明るみに出る
病というものは、はじめは人の目に触れない体内の深部で起きるが、やがて必ず外にあらわれ、視力や聴力といった表面的な感覚にまで影響を及ぼす。肝が病めば目が見えず、腎が病めば耳が聞こえなくなるといった例は、古代中国の五行説に基づく知恵であるが... -
心の本質は、言葉や振る舞いににじみ出る
善人というものは、日常の行動や態度が穏やかであるのはもちろんのこと、眠っている時ですら、その魂までもがやすらかで、和やかな気配を漂わせている。その存在は、自然とまわりを和ませ、親しみを感じさせる。 一方で悪人は、行動や言動が乱暴で残虐であ... -
志を貫く者は、木石のように動じず、雲水のようにとらわれず
徳を高め、道を修めようとする者には、木や石のように微動だにしない「念頭」、すなわち固い心構えが必要である。それがなければ、地位や権力、財産、美色といった世俗の魅力に、一たび心を奪われてしまえば、あっという間にその“欲の世界”へ引き込まれて...