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静寂のなかで心を見つめ、自分の“からくり”に気づく
夜の終わりと朝のはじまり――そこに本当の自己が立ち現れる。 夜が更けていき、街の光も消え、音という音がなくなるとき――それは、人がようやく深い静寂とやすらぎ(宴寂)に入るときである。 明け方の夢から目覚め、まだ万物が動き出さない世界に身を置く... -
人格を高めるには、まず世界を広く見ることから
見識が度量を育て、度量が徳を築く。 徳(とく)=人格や品格は、その人の度量(どりょう)=心の広さ・包容力によって深まり、度量の広さは、さらに見識(けんしき)=知識や思慮の深さによって育まれる。 したがって、もし「より高い人格を備えたい」と... -
飽きれば去り、冷えれば捨てる――それが人情だとしても、自分はそうであってはならない。
人は、自分が飢えているときには寄ってくるが、満ち足りてしまえばたちまち離れていく。 こちらが裕福であれば、近づいて媚びへつらうが、一たび貧しくなれば、まるで価値のないもののように棄てていく。 ――これは、世に広く見られる「人情の通患(つうか... -
財ではなく、言葉で人を救う――それもまた無量の功徳なり
士君子(しくんし)――高潔な人・志ある人であっても、ときに貧しくて、他人を物質的に助ける余裕がないことがある。 しかし、たとえば―― **愚かで道を誤っている人(痴迷)**に出会ったとき、 ただ一言でその迷いを覚まさせることができる。 苦境や危難の... -
苦労は共にできても、安楽は共にしにくい
功を分かち合えば、心が離れ、恨みを生む。 人は失敗や過ち、困難や苦しみにおいては、互いに支え合い、助け合うことができる。むしろ、そうするべきである。 しかし、成功の功績やその後の安楽・幸せとなると、それを他者と等しく共有することは難しく、... -
悪人を追い詰めすぎるな――逃げ道なき締めつけは、かえって禍を呼ぶ
組織や社会から悪人(奸)やへつらい者(倖)を排除しようとするとき、彼らに**「一つの逃げ道」=退路**を用意しておく必要がある。 もし徹底的に封じ込め、退路をまったく与えないならば、それは鼠(ねずみ)の穴をふさいでしまうようなものだ。 出口を... -
人格は「主」、才能は「従」――主客が逆転すると、世は混乱する
徳(とく)=人格は人間の主(あるじ)であり、才(さい)=才能はその従者(しもべ)にすぎない。 つまり、本来あるべき姿は、人格が中心にあり、才能はそれに従う形で発揮されるべきということ。 ところが、才能ばかりあって、人格が備わっていない者は... -
人に見えないところの悪は深く、人に知られない善は大きい
悪事というものは、**人目に触れない「陰」**の中でこそ真価を問われる。陽(あきらか)な悪事であれば、多くの場合すぐに発覚し、批判を受けて制裁される。よって、その禍(わざわい)は比較的浅い。 しかし、隠れて行われる陰の悪事は気づかれず、繰り返... -
出すぎず、尽くしすぎず、立派すぎず――“控えめ”こそが、長く尊ばれる道
地位や名声は、あまりに高く昇りすぎない方がよい。あまりにも目立てば、やがて妬まれ、引きずり下ろされる危険がある。 自分の才能や能力も、すべてを出し切ってはならない。出し尽くせば、その魅力は薄れ、やがて衰えていく。 行いが立派であっても、過... -
功績には正当な賞を、過失には厳正な罰を
組織を動かすのは、私情ではなく公平さである。 組織を動かす上で、部下の**功績や過失(こうか)に対しては、曖昧な評価をしてはならない。もし、功と過を混同して扱うようなことがあれば、人々は次第にやる気をなくし、なまけ心(惰堕)**を抱くようにな...