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他人には寛容に、自分には厳しく。苦しみには手を差しのべよ
人の過ちは、あたたかく受けとめ、寛大に赦してあげるべきである。しかし自分の過ちについては、どこまでも厳しく省みなければならない。 また、自分の苦しみや屈辱は、じっと耐える覚悟を持つべきだ。けれど、他人が苦しんでいるときには、ただ見過ごすの... -
思いつきは続かず、ひらめきは迷いに変わる
物事を思いつきのまま始めると、勢いにまかせて行動できるのは最初だけ。熱が冷めれば、すぐに手を止めてしまう。これでは、「不退の輪(限りなき前進)」など望めない。 また、一時的な感覚やひらめきによって「悟った」と思ったとしても、それが真の悟り... -
勤勉と倹約を、私欲の道具にしてはならない
本来、「勤勉」とは道徳や義に対して敏感であり、人格を磨くために努力する姿勢を意味していた。しかし今では、単に貧しさを脱してお金を得るための手段として使われがちである。 また「倹約」とは、本来は利益に淡白で、欲望を抑えて心静かに生きるための... -
年月が経っても、心を新たにし、見えぬところこそ誠実に
人とのつながりにおいて、大切にしたい三つのことがある。 一つは、昔からの友人と付き合うときこそ、初めて会ったような新鮮な気持ちで接すること。年月を経ても意気は新しくありたい。二つ目は、人目につかない事柄に対してこそ、むしろ心と行動を一層誠... -
善も悪も、見えずとも報いは必ずやってくる
善いことをしていても、その効果や報いはすぐには目に見えないかもしれない。だがそれは、草むらに隠れて育つ瓜のようなもの。目立たずとも、確かに成長し、やがて実を結ぶ。 逆に、悪いことをしても、その報いがすぐに表れないために、何の問題もないよう... -
寛大な心は万物を育て、冷酷な心はすべてを凍らせる
心が広く、あたたかく、寛厚な人は、春の風のように万物をやさしく包み、自然と命を育てていく。そのような人のもとでは、人も物も、生き生きと成長してゆくものだ。 一方で、心が狭く、冷たく、残忍な人は、北風に吹かれ雪に閉ざされた大地のように、すべ... -
人を信じるとは、自らの誠を貫くということ
人を信じる者は、たとえ他人がすべて誠実であるとは限らなくても、自分自身は誠実な人間であるということになる。逆に人を疑う者は、たとえ他人が皆偽っているわけではなくても、自分の心はすでに誠実さを失ってしまっている。 つまり、信じるという行為は... -
学びとは、一生手放せない心の糧である
道(道徳)は、特別な誰かのものではなく、万人が共有すべき人生の指針である。だからこそ、他者に合わせてそれを分かち合い、導いていく姿勢が求められる。また、学びとは、日々の食事と同じように、生きるうえで不可欠なものである。そのため、どんな時... -
自らの宝に気づかずに、他人を羨むなかれ
ある偉人はこう言った――「自分の家に尽きることのない宝を持ちながら、それに気づかず、人の家の門前で鉢を持ち、物乞いのように振る舞っている者がいる」と。また別の偉人はこう言った――「にわか成金のように、わずかな財で夢を語り自慢する者よ。だがど... -
人格こそが事業と子孫を支える根になる
事業の基礎は、その人の持つ人格、すなわち「徳」である。人格が未熟なままで事業を始めても、それは土台のぐらついた建物のようなもの。やがて崩れてしまうだろう。また、心のあり方は、未来の子孫の行く末に影響を与える根である。根がしっかり植えられ...