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山河さえ崩れるなら、地位や財産は影のまた影
大地や山河といった雄大な自然でさえ、時がたてば微塵となり形を失う。その自然よりはるかに小さな人間など、まさに「塵中の塵(ちりの中のちり)」にすぎない。血と肉から成るこの身体でさえ、水の泡や物の影のようにはかなく消える存在なのに、ましてや... -
一を知って万に通ず――本質を見抜けば世界が手の中に入る
一つの物事の真の趣(おもむき)を深く理解すれば、その理解はやがて世界全体へと広がっていく。たとえば、ただ一つの風景を通して自然の美の本質を知るならば、遠く離れた五湖の霞む月影すら、心の中に自在に呼び寄せることができる。また、今目の前にあ... -
楽しみには“頃合い”がある――切り上げる勇気が余韻を生む
賑やかな宴も、時を見誤れば興ざめの場と化す。友や客が雲のように集まり、大いに飲んで騒ぐ――それは一見、人生の大きな楽しみのように思える。だが、夜が更け、酒が切れ、香も消え、茶も冷める頃には、場がだらけはじめ、わけのわからぬ人が泣き出したり... -
欲を離れ、琴と書に囲まれて心は仙境へ至る
心に物欲がなくなれば、そこはもう天高く晴れ渡った秋空や、雨のあとの静かな海のように澄みきっている。何かを手に入れよう、誰かに勝とう――そんな思いが消えたとき、心には一切の濁りがなくなり、深い静けさが訪れる。もし、そのそばに一張の琴と一冊の... -
文字や形だけでは、真の趣はつかめない
文字のある書は読めても、文字のない書(自然や沈黙の中にある真理)を読むことができない。弦の張った琴は奏でられても、弦のない琴――つまり、音なき中にある調べを感じ取ることはできない。人は目に見えるもの、手で触れられるものばかりを信じ、それを... -
草花も鳥の声も、真理を伝える師となる
自然界のすべては、私たちの心に宇宙の真理をささやきかけている。鳥のさえずりも虫の音も、ただの雑音ではない。それは目に見えぬ真理を静かに伝える「心の言葉」である。また、一枚の花びらや一色の草の緑さえも、天地の道を語る「文章」として読むこと... -
肉体は月影のような仮のもの。夢を醒まし、真の自己を知れ
夜の静けさに響く鐘の音が、私たちの魂を深い眠りから呼び覚ますことがある。それはまるで、夢の中でさらに夢を見ていた自分が、真実に近づく一瞬のようだ。また、澄んだ水面に映る月影を眺めるとき、その美しさと儚さにふれて、自らの肉体もまた幻のよう... -
趣は遠くに求めずとも、身近な静けさに宿る
風雅や趣を感じるために、豪奢な庭園や名勝地を求める必要はない。お盆のような小さな池、こぶし大の石を並べた庭――そんなつつましい空間にも、霞がたなびくような静かな美しさがある。遠くの名景を追いかけなくても、よもぎに覆われた窓辺や、竹屋根のあ... -
自然を語るときに俗が漏れるなら、まだ心は俗世にある
都会を離れて自然に暮らす――その選択は清らかでも、語り方に執着が残っていれば、まだ本質には達していない。田舎暮らしの魅力をしきりに語る人は、逆説的にその新鮮さに心を奪われている。名誉や利益を否定しながらその話をやめられない人もまた、欲望の... -
忙しさは心が生む。自然の時と空間にくつろげ
歳月はもともとゆったりと流れ、天地は広大に開かれている。しかし、あくせくと世事に追われ、狭量な心を持つ人間は、それらのゆとりある恩恵を自ら手放してしまっている。春の花、夏の風、秋の月、冬の雪――四季の美は、心静かに味わえば人を癒す。だが、...