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身と心を自由に保てば、世間の動きに左右されない
自分の“身”を、つねに間(ま)ある静かな場所――つまり心身の余白を持った場所――に置いておく。そうすれば、世間でよく言われる**「栄誉」や「恥辱」、「成功」や「失敗」**といった騒々しい評価に、心を振り回されることはない。 また、自分の“心”を、つね... -
光を和らげ、塵に同ず――俗の中にあって、俗に染まらず
俗世間を超越する(=出世)ための道は、山に籠ることではない。むしろ、この世の中を普通に生き、世の人と交わりながらも、その内に静かなる悟りを持っていることが本当の出世の道である。 また、心を悟る(=了心)ための修行とは、欲を断ち切り、人間味... -
濃は淡に勝てず、俗は雅に及ばない――真の品格は静けさと素朴さに宿る
高位高官たちが、礼服や冠(衮冕)を身にまとって行進している中に、藜(あかざ)の杖をついた一人の隠者(山人)が加わると、その場に凛とした高風(こうふう)=品格ある趣が一段と引き立つ。 一方で、漁師や木こりが行き交う田舎道に、礼服を着た役人(... -
自然に身をゆだねれば、心身ともに生き返る
蘆(あし)の布団にくるまり、雪の中、雲の中にあるような山のあばら家で眠る。そんな簡素な暮らしの中でこそ、部屋全体に満ちる“夜気(やき)”――静かで清らかな気(き)――を体の中に深く蓄えることができる。 また、酒を手に、清らかな風に向かって詩を吟... -
騒がしさは記憶を曇らせ、静けさは思考を澄ませる
ごたごたとした騒がしい環境に身を置くと、普段はしっかり記憶していたはずのことまで、うっかり忘れてしまうようなことが起こる。 一方で、静かで清らかな場所に身を置くと、かつて忘れていたような昔の記憶でさえ、ふと、鮮やかに思い出されることがある... -
執着を手放せば、どこにいても心は自由である
山林は、もともと隠棲や静かな生活に最適な場所である。しかし、そこに過剰な憧れやこだわりを抱いて執着してしまえば、それはもはや町中の喧騒と変わらず、俗世の延長になってしまう。 また、書や絵画といった芸術は、もともと高雅な趣味である。しかし、... -
自然に学べば、静けさと無心の妙理にたどり着ける
大河は満々と水をたたえていても、音を立てずに静かに流れている。この自然の姿から学べるのは、たとえ喧騒の中に身を置いていても、心の内側に“静けさ”を保つことができるという真理である。外界がどんなに騒がしくとも、内面に静かな水面を持てば、環境... -
平凡こそ最上、無心こそ真実――技巧に頼らず、日常に真理を見よ
禅宗の教えは言う。「腹が減れば食べ、疲れたら眠る」と。一見、あまりにも当たり前のことのようだが、この“自然な生き方”のなかにこそ、禅の核心があるとされる。 また、詩の心得では、「目の前にある景色を、普段使いの言葉で表現するのがよい」と言われ... -
質素で素朴、けれど潤いある暮らしこそ、本当の豊かさ
ゆったりとして、心の奥から沁みてくるような趣(おもむき)は、贅沢で華やかな暮らし――たとえば濃厚な美酒に酔いしれるような世界からは生まれない。 むしろ、豆のかゆをすすり、水を飲むような質素で素朴な生活のなかにこそ、**心を落ち着かせ、深く味わ... -
雲のように、月のように——周囲にとらわれず、自らを保つ生き方
山のほら穴から生まれ出る一片の孤雲。その雲は、留まることも、流れることも、何ものにも縛られず、ただ自由に空を漂っていく。 また、空に懸かる美しい満月。地上が騒がしかろうが、静かであろうが、まったく関係なく、ただ凛とした光で、あまねく照らし...