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放つも締めるも、自在に扱えるのが理想の境地
唐の詩人・白居易(白楽天)はこう言った――「身心を解き放ち、目を閉じて、すべてを自然のままに任せるのがよい」。 一方、北宋の詩人・晁補之(晁无咎)はこう述べた――「身心を引き締めて、凝然たる静けさのなかで禅定に入ることが最もよい」。 この二つ... -
精神の感受性を養い、静けさの中に動きを見出す
あたり一面が静まりかえり、すべての音が消えたような寂寥のなかで――ふと、一羽の鳥の鳴き声を耳にすれば、その一声だけで、心の奥底から幽玄な趣きが次々と呼び起こされてくる。 また、冬の終わり、ほとんどの草花がしおれ、朽ち果てたあとの景色の中で、... -
喜びは、飾りのない静けさの中に宿る
たとえ狭い部屋で暮らしていたとしても、心の中の雑念をすべて捨て去ることができれば、わざわざ豪華な楼閣にあるような――色あざやかな棟を仰ぎ、雲の流れを追ったり、きらびやかな玉のすだれ越しに雨をながめたりといった、ぜいたくな趣を求める必要はな... -
心が悟れば、どこでも極楽。悟れなければ、どこでも俗界
人は、束縛されるのも、解き放たれるのも――すべては自分の心ひとつにかかっている。 もし心が澄みわたり、悟りの境地に至っていれば、たとえ肉屋や酒屋のような、むさくるしい世俗の場所に身を置いていても、そこはすでに清らかな極楽浄土のように感じられ... -
心が満ちていれば、粗末な暮らしも豊かになる
精神が充実していれば、たとえ粗末な布団で寝るような貧しい暮らしであっても、天地の調和した気に満たされて、心はおだやかで、身体も元気に保たれる。 また、食事が質素であっても、心から「おいしい」と感じられるなら、たとえ「あかざのあつもの(=藜... -
すべては一つ。違いにとらわれる必要はない
天地に存在するすべてのもの――草木や動物、人と人との感情、世の中のあらゆる出来事――これらは、私たちの普通の「世俗の目」で見れば、互いに異なっていて、複雑に入り乱れたものに映る。 しかし、「道の目(=道眼)」で見つめ直せば、それらすべては、本... -
幻のような現実の中にこそ、真実は宿る
黄金は、荒々しい鉱石を精錬してこそ取り出せる。美しい玉(ぎょく)も、ただの石を磨き整えることで、その輝きを放つ。同じように、この世の「真理」も、幻のような現実の生活を通じてでなければ、決して手にすることはできない。 たとえば、酒を飲んでい... -
心が澄み切れば、何もなくても満たされる
人の心には、言葉にしがたい「真実の境地」、いわば悟りのような深い静けさと充足の世界がある。この境地に至るとき、人は琴や笛などの音楽に頼らずとも心が安らぎ、香やお茶がなくとも、清らかで芳しい気分が自然と湧き上がってくる。 この境地に至るには... -
心が澄んでいれば、質素な生活でも心身は健やかである
人間の本性や本心が清く澄みきっていれば、たとえ食べるものが粗末で、生活が質素であっても――お腹が空けば食べ、喉が渇けば水を飲む――それだけで心身は健やかに保たれる。 反対に、もし心が曇り、沈み、迷いの中にあるならば、どれほど高尚な禅の理を語っ... -
自然にかなうとき、真の美しさが生まれる
心にふと、ぴたりと一致するものに出会う――それは狙って得られるものではなく、偶然のように自然に訪れる。そうした瞬間にこそ、真の良さ、美しさ、「真機(しんき)」があらわれる。 また、風景や出来事が、誰の手も加えられていない自然なままであるとき...