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欲が淡ければ、人生はすでに満ちている
田舎の素朴な農夫は、鶏の肉や手づくりのにごり酒の話をすれば、うれしそうに語り、自分の着ているどてらや粗末な衣服の話になると、さらに楽しげに話す。だが、貴人たちのごちそうや高官の礼服の話を振られても、まったく関心を示さない。 それは、彼らの... -
自然の美を味わうには、静けさとゆとりがいる
自然の風景が見せてくれる美しさ――たとえば風のさっぱりとした心地よさ、雪の夜に浮かぶ月の澄んだ光――こうした繊細な美に心を動かされるのは、静かな心と感受性を持つ人だけだと説かれる。 さらに、草木が芽吹いて枯れていく様子や、竹や石が移り変わる景... -
富貴も勝敗も、幕が降りれば幻となる
舞台に立つ**俳優(優人)**は、白粉を塗り、紅を引き、はけ一本で美人や醜婦を自在に演じ分ける。だが――やがて歌が終わり、舞台の幕が降りれば、さっきまで舞台にいたはずの「美」も「醜」も、どこへともなく消えてしまう。 **囲碁を打つ者(奕者)**は、... -
本当の知恵とは、未来のリスクを見抜く力にある
病気になって初めて健康のありがたさに気づく。戦乱に巻き込まれて、ようやく平和の尊さを思い知る――これでは、決して「先見の明」があるとは言えない。それはただ、失ってから気づく“後知恵”に過ぎないからである。 本当に卓越した見識を持つ人は、幸福を... -
自分の「本来の面目」に立ち返り、絶対の静けさに遊ぶ
一度、こう問いかけてみる――「自分がまだこの世に生まれていなかったとき、 いったいどんな顔をしていて、どんな姿をしていたのだろうか」 さらに、こうも考えてみる――「やがて死んだ後、私はどんな状態になるのだろうか」 こうして過去・未来の“存在しな... -
真の風流とは、自由と気ままさの中にある
隠者の暮らしにおける「風流」とは――礼儀や形式にとらわれず、すべてを自分の気分や好みにまかせて、自然体で過ごすことにこそある。 だからこそ、 酒は無理にすすめ合わず、飲みたいときに飲むのが楽しい。 囲碁は勝ち負けにこだわらないからこそ面白い。... -
理と事、心と境――すべては一体である
宇宙の根本的なあり方である「理(ことわり)」が空寂(くうじゃく)――すなわち、すべての執着を超えて空しく、静かであるならば、その現れである「事(ことがら)」もまた、同様に空寂である。 それなのに、「事」は幻だからと退けて、「理」だけを求める... -
自分を中心に据えれば、すべては自由になる
自分の人生の主役は自分であり、外の出来事や環境、周囲の反応は、あくまでそれに付随する脇役にすぎない――そう考えられる人は、成功しても大いに喜ぶことはなく、失敗しても、くよくよ悩むこともない。 どんな状況であれ、大地を悠々と歩むように、自分の... -
真の巧みさは、素朴さの中にある
文章というものは、華美で巧妙に見えるよりも、むしろ“拙(つたな)さ”を守ることで味わいが生まれ、深まりを持つ。また、道を修める修行も、器用さではなく、地道で素朴な“拙”を守ることでこそ、本当に身についていく。 この「拙(せつ)」という一文字の... -
自然と心はひとつ――すき間なく溶けあっている
冬の夜、月の光が雪景色を照らしているのを見れば、私たちの心も、まるでその光に染められたように、澄みわたり、静かに清められていく。 また、のどかな春風が肌をなでるように吹けば、それに応じて、気持ちも自然とほぐれ、やさしくやわらいでいく。 こ...