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詔勅の起草における心構え
貞観元年(627年)、太宗は黄門侍郎(門下省副長官)の王珪に向かって言いました。「中書省で起草する詔勅には、しばしば意見が一致しないことが多い。誤りを含むものもあれば、互いに間違った判断で直し合うこともあります。そもそも、中書省と門下省を設... -
弓の心の教え
太宗は、若いころから弓矢を好み、その奥義を極めたと自負していました。しかし、ある日、良弓十数張を手に入れ、それを弓の工匠に見せたところ、工匠は「どれも良材ではありません」と答えました。太宗がその理由を尋ねると、工匠はこう説明しました。「... -
天下を守るは難きか易きか
太宗は、「天下を守ることは難しいか、それとも易しいか」と尋ねました。魏徴は、「天下を守るのは非常に難しい」と答えました。太宗は、「賢者や能者を任用し、その忠告を受け入れればよいではないか。どうして難しいのか」と尋ねました。しかし、魏徴は... -
理想的な君主の姿
魏徴は、帝王の行動について次のように述べました。「古来、君主が国を治める際には、天下に広く徳を施し、その賢明さを日月のように輝かせ、子孫の繁栄と国の長久を望んでいます。しかし、そんな願いを持っても、結果として成功を収めた者は少なく、国が... -
草創と守成、いずれが難しいか
太宗は、帝王の業について「国を建てる草創と、国を維持する守成のどちらが難しいか」と尋ねました。房玄齢は、「草創は、混乱した世の中で群雄が競い合い、戦い抜いて勝利を得るため、難しい」と答えました。しかし、魏徴は、「帝王が現れるのは、必ず衰... -
明君と暗君の違い
太宗は、「明君」と「暗君」の違いについて尋ねたところ、魏徴は次のように答えました。「明君は、多くの人々の意見を広く聞く者です。逆に、暗君は、少数の者だけを信頼し、偏った意見に耳を傾ける者です。」彼はまた、古の聖王がどのように治国を行って... -
民を損ねて身を養うは、身を割って食うに等しい
太宗は、君主の道とはまず民を思うことだと説いた。もし人民を犠牲にして自らの快楽を追えば、それは自分の股の肉を削いで腹を満たすようなものであり、やがては己を滅ぼす。国を治めるには、まず己の身を正すことが不可欠だ。上に立つ者が正しければ、下... -
「縁に随い、位に素する」――人生を穏やかに渡るための浮き袋
仏教の「随縁(ずいえん)」――すなわち、与えられた縁に従い、自然に身をまかせること。儒学の「素位(そい)」――すなわち、自分に与えられた地位や本分を守り、そこに誠実に尽くすこと。 この**「随縁」「素位」**という四文字は、人生という広く長い海を... -
足るを知り、自由に楽しむ――隠者の理想の暮らし
お茶は、必ずしも極上の茶葉でなくてもいい。けれど、茶壺に葉が絶えることのないようにしておく。酒もまた、上等で芳醇なものでなくて構わない。だが、いつでも一杯分はあるように満たしておく。 琴は飾り気のない素朴なもので、弦が張っていなくてもよい... -
外の寒暖よりも、内なる動揺を鎮めよ
四季の寒さや暑さ――それは衣を替えたり、暖をとったりすることで、比較的容易に対処できる。 けれども、人の世の「情の熱さ冷たさ」、つまり、人間関係の移り気や冷酷さ・厚情には、なかなか心が揺さぶられてしまうもの。 たとえそれらの人情の変化をある...