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第二章「大臣には些細な訴訟は裁かせない」
◆ 現代語訳(全文) 貞観二年(628年)、太宗は房玄齢と杜如晦に対してこう語った。 「そなたたちは尚書省の**僕射(実質上の省の長官)**として、私の政治上の苦労を分かち合い、広く見聞をもって賢人を探し登用する責任がある。ところが最近聞いたところ... -
第一章「官僚は人数ではなく才能」
◆ 現代語訳(全文) 貞観元年(627年)、太宗は房玄齢らに語った。 「政治の根本とは、人材の資質を見極めて適職を与え、官僚の数を無駄に増やさないことにある。『書経』には『任官はただ賢才に限れ』とあり、また『官職の定員を満たす必要はない。適任の... -
家柄でなく、人としての器を見よ
—皇子も功臣の子も、教えなければ道を誤る 貞観十七年、太宗は、「なぜ国家の創業者の子孫が代を重ねるうちに国を乱すのか」と問いかけた。臣の房玄齢は、「幼い君主が世の中を知らずに育つためです」と答えたが、太宗はその見方を否定する。 「それはむし... -
功と利に満ちた治世に、徳と仁の心を添える
—偉業の上に、思いやりが根を張るとき、理想の統治が成る 貞観十六年、太宗は自らの政治を省みて、功績(功)、国利(利)、徳行(徳)、仁愛(仁)の四つの柱について、どれにおいて最も優れているかと魏徴に問うた。 魏徴は即座に、「戦乱を収め、異民族... -
信頼なき統治に、忠義は芽吹かぬ
—君が臣を信じてこそ、臣は力を尽くす 魏徴は上奏し、君主と臣下の関係は「頭と手足」であり、共に調和してこそ健全な国家が成り立つと説いた。君主が臣を信じて大任を委ね、臣はその信に報いて忠義を尽くす。だが信を欠いたままでは、節義も道徳も立たず... -
頂に立っても、裸足で歩いた日を忘れるな
—栄光の上に奢るより、苦労の記憶を力とせよ 高昌国を平定した宴の席で、太宗は自らを戒めた。「驕りを慎み、正直な諫言を受け入れ、つまらぬ者の言を退け、賢者を用いてこそ、国は安定する」と語る。 それに対して魏徴は、斉の桓公とその臣下・鮑叔牙の故... -
身を忘れた君主に、国を忘れぬ臣はつかぬ
—帝王であっても、己を見失えば人の笑い草となる 太宗は、周と秦、桀王・紂王と孔門の弟子たちを比較しながら、善政の継続こそが国の長久をもたらし、悪政と驕慢は速やかな滅びを呼ぶと自省した。「私は常に古の王を鑑として己を戒めているが、それでも笑... -
諫めぬ沈黙は、万の命より重い罪
—誤った権威を支える者は、暴君と同罪である 魏徴は、隋の煬帝のもとで起きた大量の冤罪事件を語った。盗賊発生の報を受けた煬帝は、於士澄に命じて容疑者を無差別に拷問させ、わずかの疑いで二千人以上を斬首。その中の多くは、冤罪であることが後に判明... -
君臣は運命を共にする同志であれ
—忠言と聴聞が政を支え、国を守る 太宗は、「君主と臣下は、治まっているときも乱れているときも、安穏なときも危機のときも、一体であるべきだ」と語った。賢者と思い込み、諫言を拒む君主には、臣下も進言しなくなる。こうして主君は国を滅ぼし、臣下も... -
諫言を愛すれば、政は磨かれ、心は正される
—耳に痛い言葉にこそ、真の鏡がある 太宗はある日、魏徴に「近ごろの政治の良し悪し」について問うた。魏徴は、威信と功績は初期をはるかに凌ぐ一方で、民心の帰順や徳義の浸透はむしろ劣っていると率直に答える。そして、最も変化したのは「諫言への態度...