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人を育てるのは、身近な者の徳
――師傅いかんが、君主の器を決める 太宗は、皇太子や親王の将来を案じ、補佐役=師傅の選定がいかに国家の安定に直結するかを強調した。 高潔な人物は自然と悪に染まらないが、中庸の知恵しか持たぬ者は、近くにいる人の影響を強く受けてしまう。成王が賢... -
聖王に師あり、凡人に師なくして何をなせようか
――補導役なき政治は、王道たり得ぬ 太宗は、自らの至らなさを認めたうえで、聖王たちに必ず師がいたことを挙げ、三師(太師・太傅・太保)の制度を律令に明記すべきだと詔した。黄帝、堯、舜、禹、湯、文王、武王――名君の誉れを受けた彼らでさえ、賢き師に... -
厳粛なる師の志は、太子をして頭(こうべ)を垂れさせる
――威儀と敬意が、人を導く 皇太子の補佐役であった李綱(りこう)は、足の病に悩まされながらも、師としての威厳と気概を失わなかった。太宗は彼を深く尊重し、輿を賜って親衛軍に担がせ、皇太子自らに宮殿へ昇らせて拝礼させた。これほどの礼遇が示された... -
国を守るは、跡を定めること
――皇太子と親王の秩序こそ、万世の礎 太宗は家臣たちに「今、国家にとって最も急務とは何か」と問うた。民の安定、異民族との調和、礼儀の涵養――それぞれの重視する理想が語られたが、褚遂良はこう述べた。「最も急務なのは、皇太子と親王の立場を明確にし... -
嫡と庶の秩序こそ、国家安定の礎
――親王は皇太子を越えてはならぬ 褚遂良は、魏王・李泰の王府への支給が皇太子を上回っていることに対し、礼に反するとして太宗に諫言した。皇太子は天子に次ぐ存在として特別の地位にあり、その待遇は礼によって最も重んじられるべきである。庶子である親... -
愛情もまた害をなすことがある
――寵愛は公平を欠き、子を苦しめる刃にもなる 親を想えばこそ、子を溺愛してはならない。それが馬周の諫言であり、太宗も深く納得した教訓である。 馬周は、親王の待遇に偏りが生じることが、将来の争いを招くと警告した。漢や晋では、皇帝が一部の子を特... -
望まぬ野心より、安らぎの分別を
――親王にはその位にふさわしい生き方を 太宗は、愛する子・呉王李恪に対しても、あえて都から遠ざけ、地方の長官とした。それは、親として共にいたいという情よりも、国家の秩序を優先する君主としての決断だった。 兄弟同士が皇位をめぐって争うことがな... -
世襲ではなく実力を
いかに名家の出でも、徳と才がなければ、国を害することになる――それが太宗の時代、封建制を巡って交わされた議論の結論だった。 太宗は、周のように子弟や功臣に地方を世襲させれば、王室の安泰につながるのではないかと考えたが、李百薬や馬周の諫言によ... -
時代錯誤の制度導入は、国を危うくする
— 封建の理想に潜む、世襲と分裂の危険 背景と要旨 貞観十一年、太宗は「周の封建制が800年続き、秦の郡県制が二代で滅んだ」歴史を踏まえ、皇族・功臣を州の長官(刺史)に任命し、その地位を世襲させようと考えた。 この制度構想に対して、李百薬と馬周... -
私情を排して公平を貫けば、不満は自然と消える
— 親族よりも功績。信頼はそこから始まる 背景と要旨 貞観元年(627年)、太宗は功臣たちに対し、第一等の勲功として封爵と食実封(実際の税収が伴う封地)を授けた。この処遇に対して、太宗の叔父・李神通が「自分の方が先に参陣したのに、文官が第一功と...