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敵であっても、忠義ある者は赦され、重んじられる
玄武門の変において、隠太子・李建成と斉王・李元吉に仕えていた馮立と謝叔方は、敵対する立場でありながらも、それぞれの主君への忠義を貫いた。唐太宗・李世民は、その忠義を正当に評価し、敵であったにもかかわらず彼らを赦し、重用した。 馮立は李建成... -
仁義は、政治と人生を支える精神の糧である
貞観十三年、太宗は側近に語った。「深い森に鳥が棲み、広い水には魚が泳ぐ――同じように、仁義が積み重ねられた世の中では、人々は自然とそこに集い、安らかに暮らすようになる」 人は災いを避けようと努めるが、本当に災いを遠ざける手段は、仁義を行うこ... -
真の武器は、兵ではなく仁義である
貞観四年、重臣・房玄齢が太宗に武器庫の充実を報告した。「今、我が国の兵器は隋の時代よりもはるかに整っております」と。 それに対し太宗はこう返した。「確かに武器を整え、敵に備えるのは重要である。しかし、私が本当に頼みにしているのは、お前たち... -
世の風は民の心、政治の映し鏡である
貞観二年、太宗は側近にこう語った。乱世を経た人民の風俗は改まりにくいと考えていたが、近頃の様子を見ると、人々は貪欲を控え、恥を知り、法を守り、盗賊も減っている――これは、政治の力によって人心が変わった証である、と。 太宗は、「民の風俗は常に... -
幸運に頼るな、人材登用こそ国の礎
貞観元年、唐の太宗は「仁義による統治」を目指すと語った。歴代の帝王を見ても、徳をもって治めた者は国を長く保ち、法のみをもって制した者は一時的には効果を上げても、やがて滅びたという。太宗は、自らも道徳と真心によって人々の風俗を正したいと強... -
節度と敬意を失えば、君の道は滅びに向かう
皇太子・李承乾の放縦と奢侈は、ついに極みに達した。宮室の過剰な増築、淫靡な音楽への耽溺、労働力の酷使、異民族の招き入れ――。これらの振る舞いに、太子詹事の于志寧は繰り返し文書で諫言を行った。 「倹約こそが道を広め、奢侈は徳を損なう」于志寧は... -
忠言は耳に痛くとも、国を救う種となる
太子右庶子・張玄素は、皇太子・李承乾の狩猟と放縦な生活を深く憂い、幾度も書を上げて諫めた。その言葉は、歴史の教訓に基づき、忠義と真心に貫かれていた。 張玄素は、「天は徳ある者を助け、奢侈と欲に溺れる者は神にも人にも見放される」と警告し、狩... -
いさめる者の覚悟が、道を正す力になる
皇太子・李承乾の行動が次第に礼を欠き、放縦になっていく中で、側近たちは沈黙することなく、その過ちを諫め続けた。太子左庶子の于志寧は、風刺を交えた書物『諫苑』を著し、筆をもって道を説いた。また右庶子の孔穎達は、太子が顔をしかめようとも意に... -
国を継ぐ者こそ、学びと節制を忘れてはならない
李百薬は、皇太子の李承乾に対して、深い憂慮と敬意を込めて「賛道の賦」を著した。その詩賦は、過去の名君と暗愚な世継ぎの対照を描きながら、皇太子に対し正道を歩むよう促す諷刺と訓戒であった。 天命を受けて民を治める者には、並外れた知性と努力、そ... -
【現代語訳】第一章「李百薬の賛道の賦」
李百薬は、皇太子・李承乾の侍従に任命された当時、皇太子が学問に熱心でありながらも、暇な時間には遊び呆ける姿を見て、その姿勢を諫めるために「賛道の賦」という賦文を作った。その内容は、過去の聖王や歴代太子たちの成功と失敗の事例を引用しながら...