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公平 第十六章
第一章 人の任用は旧知かどうかに左右されてはいけない 現代語訳 太宗(李世民)が皇帝に即位して間もない頃、中書令の房玄齢が進言した。 「陛下が秦王であられた時からお仕えしていた部下たちの中に、不満を持つ者がいます。というのも、かつて亡き皇太... -
親孝行に国境なし
──突厥人・史行昌(し・こうしょう)の行為より 国家や文化の違いを超えて、親を思う心は普遍の人間性である。 異民族であっても、孝は真心に通じる 貞観年間、唐に仕える突厥(とっけつ)出身の史行昌は、皇城の門・玄武門の警備に宿直していた。 ある日... -
喪に生き、誠に徹した王族の模範
──霍王 李元軌(ほくおう り・げんき)の人物像より 唐の高祖の第十四子、太宗の弟である李元軌は、父帝・高祖の死をきっかけに、真の孝と誠の姿を示した。 父帝の崩御に際し、職を辞し骨が浮くほどの悲しみ 武徳年間には呉王に封じられていた元軌は、貞観... -
悲しみを生涯忘れぬ王――霍王李元軌の清廉と孝行
**霍王 李元軌(り げんき)**は、唐の高祖の第十四子であり、太宗の弟にあたる王族である。彼の人生には、静かな誠実さと変わらぬ哀悼の情が貫かれていた。 父の死を悼み、生涯を麻衣で過ごす 李元軌は武徳年間に呉王に封ぜられ、貞観七年(633年)には**... -
若き王子の模範――韓王李元嘉の質素と孝友
**韓王 李元嘉(り げんか)**は、高祖李淵の第十一子であり、太宗の弟にあたる人物である。 わずか十五歳で地方長官(潞州刺史)に任ぜられ、幼くして政務に就いたが、その人格はすでに王者の器を備えていた。 あるとき、赴任中の潞州で、母の病を知ると... -
血を分けた兄への情――虞世南、命を賭した兄弟愛
**虞世南(ぐ せいなん)**は唐初の名臣であり、文才と書の名手としても知られるが、その人格の根底には、**深い「兄弟愛」**があった。 彼ははじめ**隋に仕え、起居舎人(皇帝の言動を記録する役職)**として職にあった。 貞観以前、宇文化及(うぶん か... -
親は実の親だけではない――房玄齢の継母孝行
唐の名臣房玄齢(ぼう げんれい)は、実母ではなく継母に仕えていたが、その態度は、実の親に対するものとなんら変わらず、むしろ人並み以上に誠実であった。 継母が病気になると、玄齢は医者が来るたびに門まで出迎え、涙を流して礼を尽くした。医者に対... -
敵味方を超えて忠義は尊ばれる――太宗の公正なる賞賛
貞観十九年、太宗は大軍を率いて高句麗(こうくり)遠征に赴き、遼東の要衝である**安市城(あんしじょう)**を包囲した。高句麗の将兵たちは命がけで抗戦し、城は堅固に守られていた。 唐軍は、すでに降伏した高句麗の褥薩(じょくさつ)=地方長官、**高... -
忠義の血脈を絶やすな――功臣の子孫にも慈悲の光を
貞観十五年、太宗はある日、政務の合間に歴史書を繙(ひもと)きながら、思いにふけった。忠臣や名臣が国家の危機を救い、あるいは命を捧げたその姿に、胸を打たれたのである。書を閉じた太宗は、ため息をつきながら、次のような**詔(みことのり)**を下... -
忠義の血は絶えず――父から子へ、忠烈の精神は継がれる
貞観十二年、太宗は中書侍郎(ちゅうしょじろう)の**岑文本(しん・ぶんほん)**に問いかけた。 「南朝の梁や陳に仕えた臣下のなかで、称えるべき人物はいるか。そして、今なおその子弟のうちで、朝廷に召し出すにふさわしい者はいないだろうか」 これに...