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第三章「今日あるは魏徴のお蔭」
■現代語訳 ある日、太宗は長孫無忌ら側近たちに語りました。「私が即位したばかりの頃には、多くの者が上奏を寄せてきた。ある者は、『君主というものは威厳が第一ですから、何事も陛下自らが独断で判断し、臣下には任せないようにすべきです』と進言し、... -
第二章「信用ほど大事なものはない」現代語訳と要点
内容要約: 魏徴が上奏で、国家の基本は「徳・礼・信」にあると説き、近年の朝廷において誠信が失われていることを強く諫める。 ポイント(要点): 「君主は礼を立てて臣下に接し、臣下は忠義で応える」ことが誠信の体現。 「民に信無くば国立たず」──誠... -
第一章 水源が濁れば川も濁る
■現代語訳 貞観の初年、ある者が上奏文を提出し、朝廷において皇帝に媚び諂うような佞臣を取り除くべきだと願い出た。 それに対して太宗は、その者に問いかけた。「私が現在任用している臣下は、皆賢者だと考えている。そなたは一体、誰が佞臣だというのか... -
法治主義よりは徳治主義 — 概要と核心
1. 背景:宦官の専横と魏徴の進言 貞観十一年、宦官を地方使者に用いることへの弊害から、魏徴がそれを諫め、太宗が「宦官を使者にしない」と宣言。これをきっかけに、魏徴は太宗の治政姿勢に対し、長大で包括的な上奏を行った。 2. 善悪の取扱... -
第七章 身内か仇敵かを問わず賢人は推挙せよ
現代語訳 唐の太宗が即位して間もない頃のことである。太宗は側近の臣下たちに向かって、こう述べた。 「私は今、政治に全力を注ぐため、優れた人物を広く探して登用している。誰かが良い人物だと聞けば、すぐに引き立てて使うようにしている。だが世間で... -
第六章 公平な意見を採用しなかった後悔
現代語訳 唐の太宗の時代、刑部尚書(司法長官)の張亮が「謀反の疑い」で告発され、裁判にかけられることとなった。太宗はこの件を官僚たちに審議させたが、多くの者が「張亮は死罪に値する」と述べた。 しかし、ただ一人、殿中少監(宮中警備官僚)の李... -
第五章 娘の嫁入りに対する諫言に皇后が感動
現代語訳 貞観六年(632年)、太宗の娘・長楽公主が嫁ぐことになった。太宗は、役人に命じて「姉妹にあたる長公主が嫁いだときの倍の嫁入り支度を用意せよ」と指示した。 この命令を聞いた魏徴が、太宗に上奏した。 「昔、後漢の明帝が自分の息子を諸侯に... -
第四章 昔の公正な明君・名宰相に学べ
現代語訳 貞観二年(628年)、太宗は房玄齢ら側近に語った。 「最近、隋の時代を知る年配者たちが口をそろえて『高 **(※高熲と思われる)こそ良き宰相だった』と言っているのを聞き、私も彼の列伝を読んでみた。そこには、彼がいかに公正・率直で、政治... -
第三章 法における過失の解釈と皇帝決定権の問題
現代語訳 貞観元年(627年)のこと。吏部尚書・長孫無忌が宮中に召された際、うっかり佩刀を外すのを忘れたまま太極殿の門(東上閣門)を通過してしまった。彼が門を出たとき、ようやく門番の監門校尉がその事実に気づいた。 尚書右僕射の封徳彝は、「監門... -
第二章 兵は火のようなもの
第二章 兵は火のようなもの 現代語訳 貞観元年(627年)のこと。ある者が封書を用いて上奏した内容は次のようであった。 「もと秦王府に属していた兵士たち全員に武官の地位を授け、宮中の警護にあたる兵士として採用してほしい。」 それを受けて、太宗(...