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記録は、権力よりも正義に仕える
歴史は真実を記すためにあり、誰の顔色も見ない 貞観十三年、太宗は諫議大夫・褚遂良(ちょすいりょう)に対し、起居注の記録内容について問うた。起居注とは、天子の言動を日々記録する公式文書であり、君主自身も原則として閲覧できないものとされていた... -
筆よりも徳を、記録よりも実行を
君主の名声は、言葉ではなく行いによって残る 貞観十一年、著作佐郎の鄧隆(とうりゅう)が上奏し、太宗の過去の文章を編纂して文集としたいと申し出た。これに対して太宗は、文集の作成そのものを明確に拒否した。 太宗はこう述べる。「政治上の命令が民... -
歴史は飾るために非ず、正すために記せ
華やかさより、誠実な諫言を記録せよ 貞観の初年、太宗は国史の編纂を担当していた房玄齢に対して、歴史のあるべき姿を問うた。『漢書』や『後漢書』には、楊雄や司馬相如、班固らの書いた華美な賦(詩的散文)が数多く収録されていたが、それらは「勧善懲... -
学ばざれば、光ることなし
人は生まれながらに才を持つが、磨かねば道を知らぬ 太宗は中書令・岑文本に向かって、人の本質についてこう語った。「人は生まれながらにして性質を授かっているが、それを活かすには学問によって磨かねばならない」と。 この考えは自然界の比喩によって... -
学問の正しさは、時を越えて築かれる
正義の解釈を定め、学の混乱を正す 貞観四年、太宗は儒学の根本である五経の本文と注釈が長年にわたって混乱していることを憂い、当時の学問的最高権威であった顔師古(がんしこ)に詔を下して、五経の校訂を命じた。師古は秘書省の蔵書を精査し、誤字脱字... -
学なき者に政(まつりごと)は任せるな
人を得ることこそ政治の要、そして学識こそその資格 貞観二年、太宗は政治の本質について語った。「政治の要は、ただ人材を得ることにある。もし才能のない者を用いれば、国家は乱れる」と明言し、任用における最も重要な基準は「徳行」と「学識」であると... -
先学を崇びて、後学を励ます
学びの系譜を敬い、未来の学を育てよ 貞観十四年、太宗は儒学の発展に尽くした歴代の大学者たちを顕彰する詔を発した。梁・陳・隋・北周など各時代の名儒――皇侃・褚仲都・熊安生・沈重ら――の学説は、当時の学生たちに広く学ばれていた。太宗は彼らの学徳を... -
学を国の礎とせよ、天下にその徳を及ぼせ
儒学をもって国を興し、徳をもって世界を導く 貞観二年、太宗は国家の学問制度を抜本的に改革し、孔子を先聖とする国学の制度化を断行した。孔子廟を国子監(国立大学)に設け、礼典に基づいて孔子を「先聖」、顔回を「先師」とし、礼器・舞踏もすべて制度... -
学を政の礎とせよ
文学と儒学をもって、政治を磨く 太宗は即位の初期、ただ武力で国を治めるのではなく、学問を重んじる政治の基盤を築こうとした。その象徴が、正殿の東に設置された「弘文館」である。 ここには、文才と儒学に優れた人々を全国から選抜し、彼らには本来の... -
禍福は門から入らず、己が招くもの
身を滅ぼすのは、環境ではなく心の欲である 貞観十六年、太宗は側近たちに向かって、古人の戒めの言葉を引用しながらこう説いた。鳥は高い木の枝に巣を作り、魚は深い水底の穴に棲む――にもかかわらず人に捕らえられるのは、すべて餌に釣られて出てきてしま...