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強者の真の力は、恐れぬ姿勢にあらわれる
突厥の大軍が唐の都・長安の北に迫ったとき、太宗は城に籠ることなく、単騎で渭水を越えて敵将に向き合った。周囲が慎重策を提案する中、太宗はあえて出軍し、国を守る覚悟と気迫を示した。 敵は、太宗の即位直後の混乱を突いて攻めてきた。だが太宗は、堂... -
民を削って栄える国は、やがて骨まで尽きる
北周と北斉の最後の皇帝は、ともに国を滅ぼした。だがその末路の原因には違いがあった。唐の太宗は、北斉の後主が贅沢に溺れ、倉庫の財を使い果たし、過酷な課税で民を苦しめた様子を「自分の肉を喰らうが如し」と評した。やがて肉が尽きれば死ぬのは当然... -
勝ち続ける国ほど、滅びに近づく
勝ち戦に酔いしれると、君主は驕り、民は疲れる。それは、国の滅亡へと直結する危うい道である。 唐の太宗は、困窮した突厥の現状を聞き、「人民を顧みず、私欲に走り、忠義を重んじぬ者に国は保てぬ」と語った。魏徴は続けて、戦国の名将・李克の言葉を引... -
恩義を忘れた者は、自らの滅びを招く
善を積む者には福が、悪をなす者には災いが訪れる。それは光が形に影を生じさせ、音が音色を返すように、必然の理である。 突厥の啓民可汗が隋に助けを求めたとき、隋の文帝は国を挙げて彼を助け、地位を保たせた。だが、後継者たちはその恩を忘れ、報いる... -
倉を満たすより、民を満たせ
太宗は、隋の滅亡の一因が、民より倉庫を重んじた統治にあったと見抜いた。文帝は凶作の年に倉を開かず、飢えた人民を他所へ移して見殺しにした。その結果、国庫は豊かになったが、民の心は離れた。その富を受け継いだ煬帝は、奢り高ぶり、ついに国を滅ぼ... -
力で治めても、心を得なければ続かない
秦も周も天下を取った。しかし、命運の長さはあまりに違う。その違いは、単に「取る」方法ではなく、「治める」姿勢にあった。 唐の太宗は、周の武王と秦の始皇帝の事例を引き合いに、こう説いた。周は殷を倒した後、仁義を広めて人々の心を得ようとしたが... -
美を取るより、心を守る
―『貞観政要』巻五より:太宗が高句麗の美女を帰国させた理由 🧭 心得 真に人を思うとは、その心の自由と尊厳を守ることである。貞観十九年、高句麗の王・高蔵とその実権者・泉蓋蘇文が、唐の太宗に対し**「貢女(こうじょ)」として二人の美... -
不義の贈り物は、国の徳を汚す
―『貞観政要』巻五より:泉蓋蘇文の献上を拒絶した太宗の判断 🧭 心得 不義の者が捧げる品は、いかに貴重でも、それを受け取ることは国家の徳を傷つける。貞観十八年、高句麗を治める軍閥の**泉蓋蘇文(せんがいそぶん)**は、自らの主君を弑... -
栄光の中に、滅びの種は宿る
―『貞観政要』巻五より:太宗の自戒と臣下への諫言要請 🧭 心得 真の賢君は、誉れの瞬間にこそ、最も深く己を省みる。貞観十二年、西域の疏勒(そろく)・朱俱波(しゅくは)・甘棠(かんとう)といった諸国から、使節が貢物を持って長安に来... -
慈しみは、自由にしてこそ本物
―『貞観政要』巻五より:太宗の仁政、ひと羽の鳥にも及ぶ 🧭 心得 真の仁とは、力ある者が、弱きものの本性を思い、自由を与えることにある。貞観年間、南方の林邑国(現在のベトナム中部)から献上された**白鸚鵡(しろおうむ)**は、よく人...