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兵は備えるもの、好むものにあらず
太宗が著した帝王指南書『帝範』には、軍備の本質について明確な思想が記されている。 「兵器とは国家の凶器である。戦を好めば民は疲れ、備えを怠れば民は危険にさらされる。だから、戦わずとも備え、民に戦を教え、用意を怠らないことが肝要なのだ」 越... -
好機を逃さず、決断すれば勝機は開ける
貞観十九年の高句麗遠征において、太宗に従った江夏王・李道宗と李勣は、先鋒として蓋牟城を攻め落とした。その直後、敵の援軍が大挙して到着するも、唐軍内では「太宗の到着を待ってから進もう」という慎重論が広がった。 しかし、道宗はこれに真っ向から... -
帝自ら剣を抜くとき、国の背は無防備になる
貞観十九年、太宗は自ら高句麗を討つため、親征を決意した。そのとき重臣・尉遅敬徳は、進言を上げて諫めた。 「陛下が遼東へ出征されれば、皇太子が定州で政務を預かり、都の長安や洛陽、国の倉庫が手薄になります。遼東は遠方であり、かつて隋の煬帝が同... -
勝つことより、負けたときの執念が国を傾ける
貞観十八年、太宗は高句麗の泉蓋蘇文が主君を殺し、民を苦しめていることに怒り、討伐を計画した。それに対し、諫議大夫の褚遂良は静かに、しかし深い憂慮を込めて進言した。 「陛下の英略は誰にも及びません。過去、隋末の群雄割拠を平定し、突厥や西域の... -
「武」とは、戦うことではなく、戦いを止めることにある
高句麗の泉蓋蘇文が自国の王を殺し、政権を奪ったという報告を受けたとき、太宗は怒りを覚えた。軍の力で討つことは可能だとしつつも、すぐには兵を動かさず、間接的な対応を検討した。 このとき、重臣・房玄齢はこう諫めた。「古より、強き国は弱き国を侵... -
剣より縁を選ぶことが、真の民のためになる
貞観十六年、太宗は北方の強国・薛延陀に対し、二つの選択肢を提示した。一つは十万の精兵をもって討伐し、武力で服従させること。もう一つは、皇女を嫁がせて通婚し、平和を築くこと。 太宗は語った。「民の父母たる者として、人民の安寧をもたらせるなら... -
礼を欠いた勝利に、正義は宿らない
貞観十四年、唐の将軍・侯君集は高昌国を討伐する任にあった。敵国の王・麴文泰の葬儀の日取りが知らされ、配下はその機に乗じて急襲すべきだと進言した。だが、侯君集はこれを拒んだ。 「天子が我々を遣わしたのは、傲慢な国を誅するため。その使命を受け... -
虚名のために、民を苦しめてはならない
貞観五年、中央アジアの康国が唐に属国となることを申し出た。だが太宗は、その申し出を毅然と断った。 「歴代の帝王たちは、土地を広げて名を残そうとしたが、それは民を苦しめるだけのことであった。仮に自分の利益になったとしても、人民に損があるのな... -
戦の勝利より、戦を避ける知恵を尊べ
貞観四年、林邑から無礼な文書が届いたとの報告を受け、官僚たちは討伐を願い出た。しかし太宗は、毅然としてこれを退けた。 「兵とは凶器、やむを得ない時にのみ用いるべきものである。光武帝は『一度兵を動かせば、気づかぬうちに白髪になる』と言った。... -
兵を動かす前に、言葉を尽くせ
嶺南で反乱の報が上がったとき、太宗は討伐の兵を起こそうとした。だが、魏徴は進言した。「戦乱で疲弊した今、険地に兵を送るのは得策ではありません。まずは使者を送り、誠意を示して話し合うべきです」と。 魏徴の言葉通り、太宗は一人の使者を遣わすに...