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◆ 問題提起:士(知識人)が仕えぬ諸侯に身を寄せてよいのか?
万章の問い: 「士たる者が、仕えていない諸侯に身を寄せるのはなぜいけないのですか?」 孟子の答え: 「あえてそうしないものだ。なぜなら士が諸侯に身を寄せるのは礼ではないからである。」 孟子はここで、**立場や身分に応じた行動規範(礼)**を重視... -
◆ 概要:孟子が説く「仕える意味」と「職業倫理」
孟子は、「仕える(仕事をする)」という行為の本義は、生活の糧を得るためではなく、道義を実行するためであると述べます。しかし、現実としては「生活のために仕える」場合もあり得る、と理想と現実の両面を認めつつ、そこにおける心構えを正すのがこの... -
不義にも段階がある:すべてを盗人扱いするのは極論である
◆ 背景と主張 万章は「今の諸侯は民を追いはぎのように搾取している。そんな者からの贈り物を受け取るとは君子のやることか」と問う。これに対して孟子は、**「すべてを一律に盗人扱いするのは道理を極端に突き詰めすぎており、実際的ではない」**と説く。... -
出所が悪ければ、どれほど礼を尽くされても受け取ることはできない
孟子は、道にかなった交わりや礼儀を尽くした贈与であっても、その物が明らかに不正に得られたものであれば受け取ってはならないと断言する。礼節があっても、「義(正しさ)」が失われている場合は交際そのものが成立しない。 注釈と背景理解 「禦」=追... -
恭をもって受ける――義を問いすぎて礼を失うな
孟子は、人と交わるうえで**最も大切な心構えは「恭」(うやうやしさ・慎み)**であると答える。これは特に目上との関係において重要であり、贈り物の受け取りにもその「恭」が問われる。 孟子の教えは、単なる上下関係のマナーを超えて、礼と義のせめぎ合... -
天子といえども、賢者には敬意を――「貴を貴ぶ」と「賢を尊ぶ」は同じ道理
孟子は、天子といえども、賢者を友として敬うべきであると説く。これは「権力者は人徳ある者を軽んじてはならない」という儒家の核心思想のひとつであり、舜と堯のエピソードを通して、それが最も高い立場にある者の「品格」の証であると示される。 舜と堯... -
真に賢者を尊ぶとは――友として終わるな、共に治めよ
孟子はこの章で、単に賢者を尊敬するだけでは足りないと説く。君主であれば、その賢者を友として遇するだけでなく、登用し、位・職・禄を共にするべきなのだ。 これは「士のように尊ぶな、王者らしく遇せよ」という孟子の強い主張であり、賢者を用いない「... -
友とは「徳」でつながるもの――身分や出自は挟まない
孟子は、真の友誼(ゆうぎ)は人の「徳」によって築かれるものであり、身分や背景を持ち込むべきではないと説く。「長(ちょう)を挟まず、貴(き)を挟まず、兄弟(けいてい)を挟まず」とは、年齢・地位・家族関係などを交友の“足場”にしてはならないと... -
百畝の田が養う命――農と官の公平な連動
孟子が示す農民の収入体系は、単なる生活の糧ではなく、社会全体の俸禄制度の基準点として機能していた。すなわち、「庶人出身の官吏の禄(=給料)は、農民が得る百畝の田の収穫力をもとに等級化されていた」のである。農に根差した社会である以上、耕作... -
小国でも貫かれた礼の制度――子・男の国における俸禄の縮図
孟子が紹介する「子・男の国(五等爵の最下位)」においても、報酬の階層原理は一貫して適用されていた。規模の小さな国家でも、君主から下士、庶人に至るまで明確な給与体系が整備されていたことは、周制が制度としての公平性と機能性を細部にまで浸透さ...