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志が定まらなければ、何事も成らない――“打ち込み”の大切さ
孟子はこの章で、才能や知力よりも、「志を立てて一つのことに専念する姿勢」が成功の鍵であると説きます。斉王に対して「不智(無知)なのではない」と前置きしたうえで、**“気持ちの継続”がなければ善も育たないし、物事も成らない”**という教訓を伝えて... -
善は育ててこそ活きる――放っておけば消えてしまう
孟子はこの章で、「性善」はもともと備わっているが、それだけでは不十分であり、正しく養わなければ存続しないと説きます。これは性善説を土台にしながら、教育・修養・習慣の重要性を極めて明確に述べた一節です。 育てれば伸び、育てなければ失われる ... -
本性は養わなければ表れない――“平旦の気”を失えば禽獣と同じ
孟子はこの章で、前節の「牛山の木」のたとえを引き継ぎ、人間の「良心(仁義の心)」がどのように損なわれ、またどうすれば保てるのかをさらに掘り下げて語ります。それが、「平旦の気(夜気)を養うこと」という視点です。 人の心にも“芽生える力”がある... -
本性は損なわれても消えない――見た目の姿に惑わされるな
孟子はこの章で、人間の本性は外見や現状から判断すべきではないと説きます。いかに荒廃していても、それは「本性」が失われたのではなく、損なわれた結果にすぎないということ。例え話として出される「牛山」の姿は、人間の心のたとえとして象徴的です。 ... -
心もまた共通の好みを持つ――理と義は味や音と同じように“うまい”もの
孟子はここで、「理(ことわり)」と「義(ただしさ)」は私たちの心にとって“快いもの”であり、それはちょうど、おいしい肉が口にうれしく、良い音楽が耳に心地よく、美しいものが目に美しく映るのと同じことだと説いています。 味覚・聴覚・視覚――人間は... -
聖人も我らと同じ本性を持つ――違いは環境と努力にある
孟子はこの章で、人間の本性は誰もが同じであり、聖人と凡人の違いは、先天的な能力ではなく、後天的な環境と努力の差であると明言します。これは、性善説に基づく平等思想とも言え、誰もが善くなる可能性を持っていることを力強く主張する章です。 凶年に... -
美徳は生まれつき内にある――仁義礼智は本性のあらわれ
孟子は、人の本性が善であることを、心に備わる四つの徳の“萌芽(芽生え)”をもって示します。それは外から与えられたものではなく、もともと人の内にあるもの。つまり人は、美徳を「好む性質」そのものを授かっているのです。 四つの徳の芽生え:本性から... -
人の本性は善――迷わせるのは外の力にすぎない
孟子はこの章で、性善説の立場を明確にしつつ、他の三説に正面から反論します。多くの人が「善にも不善にもなり得る」「人には善悪のタイプがある」と考える中、孟子は一貫して主張します―― 人の“本性”とは、善を行おうとする「情」そのものである。不善を... -
義もまた内にある――場面ごとの行動の違いは心の働きの表れ
義とは、内なる「敬う心」が外に現れたものにすぎない。孟子の弟子・公都子は、「義は外にある」とする告子派の孟季子の詰問に一度は言い負かされるが、孟子は巧みな比喩と反証によってその誤りを論破する。孟子の立場は一貫しており、たとえ水かけ論に見... -
仁と義はともに心のはたらき――人間の道徳は本性に根ざす
仁と義は、どちらも人の内心から発するものであり、区別されるものではない。告子が「仁は内、義は外」と区別し、道徳の外在性を主張したのに対して、孟子はそれを徹底して否定し、仁義は同根であり、人間の本性に由来するものであると力強く主張する。 孟...