目次
📖 原文(第十章 一〇)
愛執の矢が肉に刺さったので、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。
汝らは(みずから)なすべきである。
けだし諸の完成者(如来)はただ道を示しただけである。
🧩 用語解説と逐語訳
- 愛執(あいしゅう):対象への「愛着」や「執着」。特に自己・他者・快楽・存在そのものに対する執着を指す。仏教における苦の根源。
- 矢が肉に刺さる:苦しみの例え。刺さった矢は放置すれば悪化する。ここでは愛執によって心が傷つき、迷いが生じている様を象徴。
- この道:四諦・八正道など、苦しみからの解放へ至る実践的教え(ダルマ)。
- 汝らは(みずから)なすべきである:教えは示されたが、実践と変化は自らの責任。
- 完成者(如来):悟りを得た者=ブッダ。彼らは導きはするが、実践の代行はできない。
✨ 全体の現代語訳(まとめ)
私は、「愛」や「執着」によって心が苦しみ、傷ついているという現実を身をもって知った。
だからこそ、苦しみの矢を抜くための「道(教え)」を説いたのだ。
だが、その道を歩み、矢を抜くのは他ならぬあなた自身である。
目覚めた者たちは、ただその道を指し示すのみである。
🔍 解釈と現代的意義
この節は、**「なぜ仏陀は法を説いたのか」「どうすれば苦から自由になれるのか」**という根源的な問いに対する実践的な答えです。
愛執――それは人生の苦悩の最大の原因です。
「この人を失いたくない」「これがずっと続いてほしい」――その思いは尊く見えて、実は深い不安と苦しみの源になり得ます。
仏陀自身もその矢の痛みを知ったからこそ、道を説いた。しかし、その道を歩むかどうかは、あなた次第。
現代人が陥りがちな「依存」や「受け身の姿勢」に対しても、鋭い警鐘を鳴らす言葉です。
💼 ビジネスにおける解釈と応用
観点 | 適用例 |
---|---|
感情と執着の管理 | 成果・人間関係・自己像への執着が苦しみの原因になる。俯瞰することで心を整える。 |
学びと実践の関係 | どれだけ優れた講義や本を読んでも、行動しなければ何も変わらない。 |
リーダーとメンターの在り方 | 指導者の役割は「正しい道を示す」ことであり、「その道を歩ませる」ことではない。 |
自己責任の確立 | 苦しみや困難の原因を外部に求めず、自らの行動で「矢を抜く」力を持つ。 |
📝 心得まとめ
「痛みを知った者は道を示す。だが、その痛みを癒す力は自らの中にある」
誰かに癒してもらうのではなく、自ら矢を抜くためにこそ、教えはある。
「愛する」「願う」「求める」ことそのものが苦の原因になると知ったとき、
私たちは初めて、真の自由と浄らかな心に向かう一歩を踏み出すことができるのです。
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