この世界は、三つの性質――グナによって成り立っている。
サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(鈍質)。
これらは、物質だけでなく、心・性格・傾向・思考までも形づくっている根本的な要素である。
静かに人の役に立ちたいと思う心。
次々と活動したいという衝動。
何もしたくない、ただ横になっていたいという無気力。
それらすべては、グナの組み合わせによって生まれている。
サットヴァは、清らかで澄んだ心のはたらき。
そこからは知識、内なる満足、静かな喜びが湧き上がる。
ラジャスは、活動と欲望をもたらす力。
動かずにはいられず、何かを得るために次から次へと手を伸ばす。
タマスは、怠慢、無知、混乱の力。
思考は鈍り、感情は重く、真実を見る眼を曇らせる。
『バガヴァッド・ギーター』は語る。
「人は、一瞬たりとも行為をしないではいられない。
それは、グナによって否応なく行為させられるからである」(第3章5節)
人は、完全に自由に振る舞っているようで、実は内側の性質に突き動かされている。
「あの人はなぜ、ああも貪欲なのか」「どうして自分はやる気が起きないのか」――
その答えは、グナにある。
しかもグナは、固定されたものではない。
一日のうちにも、月のリズムにも、食べ物や環境にも影響され、絶えず変化している。
知識を求め、落ち着きを好み、人の役に立ちたいと思えるとき、サットヴァが優勢になっている。
物事に駆り立てられ、刺激や達成に夢中になるとき、ラジャスが優勢になっている。
怠け心が強くなり、無気力が続くとき、タマスが優勢になっている。
だからこそ、今、自分の中にどのグナが強くあらわれているかを見極めることが重要である。
「自分とは何者か?」と問う前に、
「今の私は、どのグナに傾いているか?」と見つめ直すこと。
それが、自分の人生の方向性を修正する第一歩となる。
サットヴァが増えれば、知性は澄み、欲望に支配されなくなり、
自分や他人に優しくなり、人生の質は自然と変わっていく。
『ギーター』は日常における祈り、食事、対人関係、言葉遣いまでも
サットヴァを育てる道として示している。
この世に生まれた以上、グナの影響からは逃れられない。
だが、グナを見極め、整え、超えていく智慧は、確かに人間に備わっている。
性質に流される人生ではなく、性質を知って活かす人生を歩むこと。
そこから、真の自由と成長が始まる。
実に、一瞬の間でも行為をしないでいる人は誰もいない。というのは、すべての人は、プラクリティ(根本原理)から生じる要素により、否応なく行為をさせられるから。(第 3章 5節)
心性の清浄、自制、不殺生、怒らぬこと、静寂、中傷しないこと、貪欲でないこと、温和、落着き、高慢でないこと……(第 16章 1〜 3節より抜粋)
偽善、尊大、高慢、怒り、粗暴、無知。以上は阿修羅的な資質に生まれたものに属する。アルジュナよ。(第 16章 4節)
純質(※サットヴァ)は幸福と結合させ、激質(※ラジャス)は行為と結合させる。一方、暗質(※タマスのこと)は知識を覆って、怠慢と結合させる。(第 14章 9節)
純質から知識が生じ、激質から貪欲が生ずる。暗質から怠慢と迷妄が生じ、また無知が生じる。(第 14章 17節)
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