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限りある自己を超えて、本来の自由に還る

人は、身体に生き、心を持ち、感情に揺さぶられている。日々変わる肉体の状態、心の波、感情の起伏。その変化の只中にいながら、まったく変わることなく在り続けているものがある。

それが、アートマンである。

アートマンは、痛みにも喜びにも染まらず、ただ静かに見つめている。

肉体という器に宿ってはいるが、その本質は器そのものではない。時間にも、空間にも束縛されず、本来は限界のない、自由そのものである。

だが、人はそのことを忘れ、自分を「小さく」「足りない」「限りある」存在だと信じ込む。そして、変わるものを自分と誤認し、苦しみの中に沈む。

「私には価値がない」「私は不完全だ」――その思い込みこそが、最大の不自由である。

その錯覚を晴らす光が、「ブラフマンの知識」である。
アートマンとブラフマンが本質において一つであると深く理解されたとき、人は、自分を縛っていたあらゆる幻想から解き放たれる。

何かを得ることによって自由になるのではない。
不要な思い込みを手放し、自分本来の姿を思い出すこと――
それこそが「モークシャ(自由)」である。

この自由は、外に求めても手に入らない。内なる沈黙においてのみ、はじめて見出される。そしてそこに至ったとき、人はようやく、「私はこのままでよかったのだ」と、深い安堵とともに世界に向き合えるようになる。

自由とは、どこかへ向かうことではない。すでに在る自己へと還ること。それが、『バガヴァッド・ギーター』が説く、本当の生き方である。

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