人は、己の「考え」や「信念」や「価値観」によって、日々の判断を下している。
それは時に力となるが、同時に、外からの教えや導きを跳ね返す壁にもなる。
心が「自分の(が)」で満ちていれば、新たな何かを受け入れる余地はなくなる。
インド哲学では、心を開く姿勢を「シュラッダー(信頼)」と呼ぶ。
それは、根拠をもって信じることではない。
ただ、何も持たずに心を開くこと。相手の言葉を、疑いや抵抗なくそのまま受け止める準備をすること。
人は苦しみの極限に達したとき、「自分を守る」ことに力を注げなくなる。
そのとき、はじめて心の扉がわずかに開く。
「もう、どうにでもなれ」とすべてを手放したとき、かすかな声が届き始める。
それは、無理にこじ開けるものではない。ただ静かに、自ら開かねばならぬ。
教えは、準備のある者のもとにのみ届く。
閉ざされた心に知恵は宿らず、執着を握る手には光は入らぬ。
受け入れるとは、信じる以前に、まず「聞くに足る静けさ」を持つことから始まる。
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