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山河さえ崩れるなら、地位や財産は影のまた影

大地や山河といった雄大な自然でさえ、時がたてば微塵となり形を失う。
その自然よりはるかに小さな人間など、まさに「塵中の塵(ちりの中のちり)」にすぎない。
血と肉から成るこの身体でさえ、水の泡や物の影のようにはかなく消える存在なのに、
ましてやその身体が得た地位・名誉・財産といった「影の外の影」は、さらに儚く、価値の定かでないものである。
このあまりにも明白な真理を、心から理解し、執着を離れるには――
並の知恵では足りない。悟りきった“上上の智”がなければ到達できない境地なのだ。


引用(ふりがな付き)

山河(さんが)大地(だいち)も、已(すで)に微塵(みじん)に属(ぞく)す。
而(し)るを況(いわ)んや塵中(じんちゅう)の塵(ちり)をや。
血肉(けつにく)身軀(しんく)も、且(か)つ泡影(ほうえい)に帰(き)す。
而るを況んや影外(えいがい)の影(かげ)をや。
上上(じょうじょう)の智(ち)に非(あら)ざれば、了了(りょうりょう)の心(こころ)無し。


注釈

  • 微塵(みじん):極めて小さな塵や粒子。万物の最終的な帰結。
  • 塵中の塵:その微塵の中にあってさらに取るに足らぬ存在、すなわち人間のはかなさを示す。
  • 泡影(ほうえい):水の泡や影のように、つかの間で実体のないもの。身体の儚さの比喩。
  • 影外の影:地位・名誉・財産といった、影(人間)に付随するさらに不確かなもの。
  • 上上の智:最上の智慧、深く澄みきった真理の理解。
  • 了了の心:物事をはっきりと悟る心。迷いなく本質を見抜く精神状態。

関連思想と補足

  • 仏教の「諸行無常」「色即是空」に通じる、人間存在と世俗的価値の無常観。
  • 反復される「而るを況んや(しかるをいわんや)」の構文は、論理的な強調の手法。身体のはかなさ→社会的地位のはかなさ、という段階的深化を表している。
  • 真に悟った者でなければ、この明白な理にすら心から頷くことはできない、という逆説的な指摘も含まれている。
目次

原文:

山河大地、已屬微塵。而況塵中之塵。
血肉身軀、且歸泡影。而況影外之影。
非上上智、無了了心。


書き下し文:

山河大地(さんがだいち)も、已(すで)に微塵(みじん)に属す。
而(しか)るを況(いわ)んや、塵中(じんちゅう)の塵をや。
血肉の身軀(しんく)も、且(か)つ泡影(ほうえい)に帰す。
而るを況んや、影外(えいがい)の影をや。
上上(じょうじょう)の智に非(あら)ざれば、了了(りょうりょう)の心無し。


現代語訳(逐語/一文ずつ):

  • 「山河大地も、すでに微塵に属す」
     → この大きな山や川、大地でさえ、つまるところは無常の中にあり、やがて微細な塵となる。
  • 「ましてや、塵の中のさらに塵のような存在は言うまでもない」
     → それよりはるかに小さく儚い私たち人間の存在が、いかに脆く一時的なものであるかは言うまでもない。
  • 「血肉の身体も、やがては泡や影のように消えてゆく」
     → 私たちの肉体もまた、幻のように儚く、形を保てないものである。
  • 「ましてや、影のさらに外にある影(=想念・執着)はなおさらである」
     → 実体のない妄想や執着、こだわりなどは、さらにはかないものである。
  • 「最高の知恵を持った者でなければ、この無常をはっきりと悟る心を持つことはできない」
     → 深い智恵を持たなければ、この真理をしっかりと理解し、心に落とし込むことはできない。

用語解説:

  • 山河大地(さんがだいち):山や川、大地。自然界の大きな存在の象徴。
  • 微塵(みじん):ごく小さな塵。儚く、分解されてしまうもの。
  • 塵中の塵:塵の中にあるさらに小さな塵。人間の存在の儚さのたとえ。
  • 血肉身軀(けつにくのしんく):肉体のこと。五感を備えた生身の人間。
  • 泡影(ほうえい):泡や影。すぐに消えるもの、実体のないものの象徴。
  • 影外の影:影のさらに外にある影。つまり実体すら持たない抽象的な思念や執着。
  • 上上の智(じょうじょうのち):最上級の智恵。悟りや哲理を深く体得した智慧者。
  • 了了の心(りょうりょうのこころ):すべてを明確に見通し、惑わない心。仏教的な「覚者の心」。

全体の現代語訳(まとめ):

この広大な山や川、大地すらも、やがてはすべて微細な塵と化していく。
ましてや、私たち人間のような塵中の塵の存在が、どれほど儚いかは言うまでもない。
血と肉でできたこの身体も、いずれは泡や影のように消えてゆく。
それなのに、さらにその外にある想念や執着にとらわれることが、いかに空虚なことか。
これらの真実を本当に見抜き、悟るには、並外れた智恵を持った者でなければならない。


解釈と現代的意義:

この章句は、**「万物は無常である」「執着を超えて生きる心境」**を教える、仏教的色彩の濃い人生訓です。

1. 「大きなもの」すら崩れゆくという真理

  • 巨大で不変に見える自然や構造も、時の中ではやがて崩れ去る。
  • 人間の身体や心、感情などは、なおさら脆い。

2. 「影のさらに外の影」=妄想・執着の無意味さ

  • すでに実体のない“影”のようなものにさらに囚われる=幻想の中の幻想に生きる人間。
  • このことを見破り、執着を捨てたとき、ようやく心の自由が訪れる。

3. 無常観こそ、真に自由で誠実な生き方への鍵

  • すべては変わる、失われるという事実を受け入れることで、はじめて「いま」「ここ」の価値が見えてくる。

ビジネスにおける解釈と適用:

1. 「築いたもの」もやがて消えると知れ

  • ビジネスモデル、企業文化、プロダクトの人気──どれも永遠ではない。
    → だからこそ、変化に備え、執着せず、柔軟であれ。

2. 「名誉」「地位」への執着が判断を曇らせる

  • 社内のポジション、評価、見栄――こうした“影外の影”に囚われると、意思決定が歪む。
    → 実体のないものほど、人を惑わせる。

3. “上上の智”=本質を見るマインドセット

  • 目に見える成功ではなく、その背後にある本質を捉えられる人が、長期的価値を生む。
    → 「いずれ壊れるもの」と知って築く人は、壊れないものを残す。

ビジネス用心得タイトル:

「すべては消えゆく──“執着を超えた視座”が本質を導く」


この章句は、**「儚さの中にある確かさ」「壊れるからこそ大切にする心」**を私たちに教えてくれます。
今の繁栄も、いずれ微塵となる。その事実を前提に生き、判断し、関係を築くことが、真に成熟したビジネスパーソンの道と言えるでしょう。

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