――“小人”はそもそも仁に向かおうとしない
孔子は、「仁(じん)」という徳の到達について、次のように明快に語った。
「君子(くんし)にして不仁なる者は、あるかもしれない。
しかし、小人(しょうじん)であって仁なる者は、未だかつて存在しない。」
ここでいう君子とは、道徳や人格の完成を目指し、常に自己修養に努めようとする人物。
そのような人でも、時に過ちを犯し、仁に反する言動をしてしまうことはある。
しかし、その過ちは方向性としては仁を志しているがゆえの迷いとも言える。
一方で、小人は最初から仁に向かう意志もなく、
私利私欲や打算のままに生きているため、仁に至ることなどありえないと孔子は断言する。
この言葉は、「仁」は偶然に辿り着くものではなく、志と努力によってのみ至ることができる徳であることを示している。
つまり、「仁」とは方向を間違えず、たとえ遠くともそこへ向かって歩もうとする心の姿勢によって育まれるものなのだ。
原文とふりがな付き引用:
「子(し)曰(いわ)く、
君子(くんし)にして不仁(ふじん)なる者は有(あ)るかな。
未(いま)だ小人(しょうじん)にして仁(じん)なる者有らざるなり。」
注釈:
- 君子(くんし) … 高潔な人格を理想とし、徳を修めようとする人物。
- 不仁(ふじん) … 思いやりや人間愛に欠けること。徳から外れる状態。
- 小人(しょうじん) … 自己中心的で、道徳的な向上心を持たない人物。
- 仁(じん) … 思いやり、誠実、寛容といった徳の中心。人格的完成の理想。
1. 原文
子曰、君子而不仁者有矣夫。未有小人而仁者也。
2. 書き下し文
子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)にして不仁(ふじん)なる者は有(あ)るかな。未(いま)だ小人(しょうじん)にして仁(じん)なる者有(あ)らざるなり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
「子曰く、君子にして不仁なる者は有るかな」
→ 孔子は言った。「表向き“君子”とされる者でも、仁を備えていない場合がある。」
「未だ小人にして仁なる者有らざるなり」
→ 「しかし、道徳的に劣る“小人”が、仁を備えていることは未だかつてない。」
4. 用語解説
- 子曰(しいわく):孔子の発言の定型句。
- 君子(くんし):徳を備えた理想的人間。人格者。ここでは「表面的に高い地位にある人」も含意。
- 不仁(ふじん):仁(人への思いやり・誠実さ)を欠くこと。
- 小人(しょうじん):利己的・視野が狭く、道義に欠ける人物。
- 仁(じん):孔子が重視した徳の核心。愛・誠・共感・人間性の完成を意味する。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう言った:
「立派そうに見える君子であっても、仁を持っていない者はいる。
しかし、利己的で小さな人物が、仁を備えていることなど一度も見たことがない。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「外見や立場ではなく、内面の“仁”の有無が人間の本質を決める」**という教訓です。
- 君子とされる者も、実際は仁を欠いている場合がある → 表面的な地位や振る舞いはあてにならない。
- 小人物(小人)は、性格や行動からして仁とは相容れない → 本質的な違いは“自己中心性”の有無。
つまり、孔子は「人を評価する際、地位や見た目に騙されず、“徳の有無”で判断せよ」と説いています。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
✅「肩書きではなく、誠実さで人を見よ」
- 管理職や役員など、“君子然”とした人にも、実際には利己的で誠実さに欠ける人はいる。
- 評価すべきは“地位”ではなく、“仁=思いやり・信頼性・誠実な行動”である。
✅「小賢しさでは信頼されない」
- 知識や立ち回りに長けた“小人物”が、組織に悪影響を及ぼすケースは多い。
- 真の信頼を得るには、誠実で他者を尊重する姿勢=仁が不可欠。
✅「徳なき優秀さは一時的、仁ある人材が永続する」
- 能力が高くても、思いやりがなければ人は離れていく。
- 長期的な組織運営や信頼関係の構築には、“仁”があるかどうかがカギとなる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「肩書きより中身、賢さより誠──“仁”なき人物に真の信頼なし」
この章句は、現代において「人物評価の基準」を根本から問い直す力を持っています。
肩書き・成果・言葉の巧みさではなく、行動と心に誠実さがあるか=“仁”を体現しているかが、
“人としての信頼”の基準であるという、普遍的な倫理を孔子は語っているのです。
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