孟子は、国家の安定と繁栄を保つためには、上に立つ者が「仁」を備えていなければならないと強く訴える。
もし不仁な者が高位に就けば、その悪徳が民衆に広がり、政治秩序が崩壊する。上は道理によって物事を判断せず、下は法を守らず、朝廷の臣下は道義を信じず、職人たちは規律を失う。君子は正義を踏みにじり、小人は刑を恐れなくなり、国の存続すら偶然の幸運にすぎなくなる。
孟子は、「城が壊れていても武器が乏しくても災いではない。上に礼がなく、下に学がないことこそが災いである」と説く。そして、先王の道を非難し、礼も義も忘れた態度を「泄泄(せつせつ)=沓沓(とうとう)」と戒めた。
本当に国を想う者とは、困難を承知で君に正道を勧める「恭」であり、悪を防ぐために善を述べる「敬」である。逆に、「君には無理だ」と諦めて進言を怠る者こそが、真の逆臣(賊)なのである。
原文(ふりがな付き)
是(こ)れを以(も)て惟(た)だ仁者(じんしゃ)のみ宜(よ)しく高位(こうい)に在(あ)るべし。
不仁(ふじん)にして高位に在るは、是れ其(そ)の悪(あく)を衆(しゅう)に播(は)するなり。
上(かみ)に道揆(どうき)無(な)く、下(しも)に法守(ほうしゅ)無く、朝(ちょう)は道(どう)を信(しん)ぜず、工(こう)は度(たく)を信ぜず。
君子(くんし)は義(ぎ)を犯(おか)し、小人(しょうじん)は刑(けい)を犯し、国(くに)の存(そん)する所(ところ)の者(もの)は幸(さいわ)いなり。
故(ゆえ)に曰(い)わく、城郭(じょうかく)完(まった)からず、兵甲(へいこう)多(おお)からざるは、国(くに)の災(わざわ)いに非(あら)ざるなり。
田野(でんや)辟(ひら)けず、貨財(かざい)聚(あつ)まらざるは、国の害(がい)に非ざるなり。
上(かみ)に礼(れい)無く、下(しも)に学(がく)無ければ、賊民(ぞくみん)興(おこ)り、喪(ほろ)ぶること日(ひ)無けん。
詩(し)に曰(い)く、「天(てん)の方(まさ)に蹶(くつがえ)さんとする、然(しか)く泄泄(せつせつ)すること無かれ」と。
泄泄とは猶(なお)お沓沓(とうとう)のごときなり。
君(きみ)に事(つか)えて義(ぎ)無く、進退(しんたい)に礼無く、言(い)えば則(すなわ)ち先王(せんのう)の道(みち)を非(そし)る者(もの)は、猶お沓沓のごときなり。
故に曰く、難(かた)きを君に責(せ)むる、之(これ)を恭(きょう)と謂(い)う。善(ぜん)を陳(の)べ邪(じゃ)を閉(と)ずる、之を敬(けい)と謂う。
吾(われ)が君(きみ)能(あた)わずと、之を賊(ぞく)と謂う。
注釈
- 道揆(どうき):道理に基づいて物事を判断すること。
- 法守(ほうしゅ):法を守ること。統治される者の基礎的態度。
- 工(こう):職人または庶民。ここでは制度を支える民のこと。
- 兵甲(へいこう):武器や甲冑などの軍備。
- 泄泄(せつせつ)/沓沓(とうとう):けじめなく、緊張感のない、だらしない態度のたとえ。
- 非る(そしる):批判する、けなす。先王の道を否定する態度を指す。
- 賊(ぞく):ここでは、忠誠を欠いた逆臣。君に仁を行わせる努力すら放棄した臣下を指す。
原文
是以惟仁者宜在高位。不仁而在高位,是播其惡於衆也。上無道揆也、下無法守也。朝不信道、工不信度。君子犯義、小人犯刑、國之存者幸也。故曰、郭不完、兵甲不多、非國之災也。田野不辟、貨財不聚、非國之害也。上無禮、下無學、賊民興、喪無日矣。詩曰、天之方蹶、無然泄泄。泄泄、猶沓沓也。事君無義、進退無禮、言則非先王之道者、猶沓沓也。故曰、責難於君、謂之恭。陳善閉邪、謂之敬。吾君不能、謂之賊。
書き下し文
是を以て惟(た)だ仁(じん)なる者のみ宜(よろ)しく高位に在(あ)るべし。
不仁にして高位に在るは、是(こ)れ其の悪(あく)を衆(しゅう)に播(ま)くなり。
上(かみ)に道揆(どうき)無(な)く、下(しも)に法守(ほうしゅ)無く、
朝(ちょう)は道(みち)を信(しん)ぜず、工(こう)は度(たくい)を信ぜず。
君子(くんし)は義(ぎ)を犯(おか)し、小人(しょうじん)は刑(けい)を犯し、国の存(そん)するは幸(さいわ)いなり。
故(ゆえ)に曰(い)う、城郭(じょうかく)完(まった)からず、兵甲(へいこう)多からざるは、国の災(わざわ)いに非(あら)ざるなり。
田野(でんや)辟(ひら)けず、貨財(かざい)聚(あつ)まらざるは、国の害に非ざるなり。
上に礼(れい)無く、下に学(がく)無ければ、賊民(ぞくみん)興(おこ)り、喪(うしな)うこと日(ひ)無からん。
詩に曰く、「天の方(まさ)に蹶(たお)れんとす、然(しか)うして泄泄(せつせつ)たること勿(なか)れ」と。
泄泄(せつせつ)は猶(なお)沓沓(とうとう)のごとし。
君に事(つか)えて義無く、進退に礼無く、言(げん)すれば則ち先王の道を非(そし)る者は、猶お沓沓のごとし。
故に曰く、難(なん)きを君に責(せ)むるを、之(これ)を恭(きょう)と謂(い)い、善(ぜん)を陳(の)べて邪(じゃ)を閉(ふさ)ぐを、之を敬(けい)と謂い、吾(わ)が君能(あた)わずとするを、之を賊(ぞく)と謂う。
現代語訳(逐語/一文ずつ)
- だからこそ、仁者だけが高い地位につくのにふさわしい。
- 仁の心を欠いた者が高位につけば、その悪しき影響を人々に広めてしまう。
- 上の者は道理の指針を持たず、下の者は法を守るよりどころがない。
- 政府(朝廷)は理念を信じず、職人も基準を信じない。
- 君子は正義を破り、小人は法を犯し、国家が存続できるのは、もはや「まぐれ」と言っていい。
- だからこう言われる:
- 城壁が壊れていても、武器が少なくても、それは国の災難ではない。
- 田畑が開かれておらず、財が集まっていないのも、国の害ではない。
- 上の者が礼儀を欠き、下の者が学問を欠けば、ならず者が現れ、国家は一気に滅びる。
- 『詩経』にもこうある:「天が崩れかけているのに、だらけていてはならぬ」。
- “泄泄”とは、だらだらしてまとまりがない様子、“沓沓”と同じ意味である。
- 君主に仕えて道義を守らず、礼儀もなく行動し、語る言葉も先王の道を否定する者は、まさに“沓沓”である。
- だからこう言う:
- 君主に難点を指摘することを「恭」と言う。
- 善を示して悪を止めることを「敬」と言う。
- 自分の君主はどうせ無能だという態度を「賊」と言う。
用語解説
- 仁者:思いやり・慈しみを持ち、徳を備えた人物。孟子の理想的なリーダー像。
- 道揆:道理に基づいた判断・原則。
- 法守:法を守ることの基準・規範。
- 朝(ちょう):政府・政権中枢。
- 度(たくい):設計や寸法の基準。
- 君子/小人:人格者/利己的な人。ここでは社会的上層と下層の象徴。
- 泄泄・沓沓(せつせつ・とうとう):だらだらとしてまとまりのない様子。規律の乱れを表す。
- 責難於君、謂之恭:君主に対して誤りを指摘するのは、むしろ忠誠(敬意)の証。
- 賊(ぞく):ここでは「害をなす者」「忠義を欠く者」。
全体の現代語訳(まとめ)
だからこそ、徳を備えた仁者のみが高位につくにふさわしい。
仁を持たない者が高位にあれば、その悪影響が民にまで広がってしまう。
上に道理の基準がなく、下には法を守る規範がなくなり、
政府は理念を信じず、職人たちも正しい尺度を信じなくなる。
上層は正義をないがしろにし、下層は法を破り、国家がもつのはもはや偶然に過ぎない。
城壁が壊れている、武器が足りない──そんなことは国の本質的な災害ではない。
田畑が開かれていない、財が集まらない──それも致命的ではない。
だが、上の者が礼を失い、下の者が学ばなければ、暴徒が現れ、国の滅亡は時間の問題である。
だから『詩経』は、「天が倒れようとしているときに、気の抜けた様子ではいけない」と警告している。
君に仕えながら義を守らず、行動に礼がなく、言葉が道理を否定する者は、まさに混沌を広める者である。
君主に対し苦言を呈することは「恭」、善を示して悪を止めることは「敬」、
「うちの上はどうせ無能だから」とあきらめるのは「賊」である。
解釈と現代的意義
この章句は、次のような現代的な倫理観・組織論に通じます:
- 徳なき権力は害をもたらす
肩書きや立場が高くとも、人格(仁)を欠いたリーダーは、組織や社会を腐敗させる存在となる。 - 組織の崩壊は、制度や財政よりも「人の心」から始まる
礼を失ったリーダー、学びを忘れた現場、それが暴徒=反抗・崩壊の芽を育てる。 - 忠言は敬意のあらわれである
上に意見を述べることは反抗ではなく「恭」──真の忠誠。
善を説いて悪を止めるのが「敬」。
黙って見過ごすのは「諦め」ではなく「破壊行為(賊)」である。
ビジネスにおける解釈と適用
1. リーダーに求められるのは「仁徳」
- 肩書き・スキルよりも大切なのは、誠実さ・人を思う心(仁)。
- 無慈悲で私利私欲に走るリーダーは、悪影響を組織にまき散らす。
2. 制度やリソースの欠如は致命的ではない。組織文化の腐敗こそ危機
- 経営資源の不足よりも、上層部が礼を失い、下層が学びを止めることのほうが組織崩壊を招く。
3. 進言は「反抗」ではない──沈黙こそ害
- 部下や同僚が上司に対して提言・忠告をするのは組織への忠義。
- 上司に失望して口を閉ざすのではなく、建設的な提言を重ねる文化こそが強い組織をつくる。
ビジネス用心得タイトル
「“徳なき高位”は毒──進言は忠、沈黙は裏切り」
この章句は、リーダーシップ、組織倫理、危機管理の核心をつく内容です。
コメント