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全体を知る者に、部分の手段は不要となる


目次

■原文(日本語訳)

第2章 第46節
クリシュナは言った。
「いたる所で水が得られている時、井戸は無用である。
同様に、真実を知るバラモンにとって、すべてのヴェーダは無用である。」


■逐語訳

  • ヤーヴァーン アルタ・ウダパーネ(井戸から得られる水の価値):井戸で汲める水のような限定的な利益。
  • サルヴァタハ サンプリタウ トケ(あらゆる所に水が満ちている時):川・湖・雨など、どこでも水が得られる状況。
  • ターヴァーン サルヴェシュ・ヴェーデーシュ(同様にすべてのヴェーダにおいて):ヴェーダの教えが提供する利益の範囲内。
  • ブラーフマナス・ヴィジューナータハ(真実を知るバラモンにとって):宇宙の実相を悟った賢者にとって。

■用語解説

  • 井戸(ウダパーナ):限られた目的に応じた道具・教義・手段の象徴。
  • 水の満ちる場所(サンプリタウ・トケ):豊富に源がある状況=真理の全体に触れている状態。
  • ヴェーダ:古代インドの聖典。儀式・祭式・義務・果報など、多様な教えを含むが、現象世界に限定される。
  • バラモン(ブラーフマナ):ヴェーダに通じた人という意味もあるが、ここでは「真理に達した覚者」の意。
  • ヴィジューナータハ(知った人):識別し、実相を悟った人。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナはここで、**「部分の知識や限定的な教えは、全体を悟った者にとってはもはや不要になる」**と説きます。
井戸は、水が乏しいときに必要だが、水があまねくある場所ではその必要がない。
同様に、真理に達した者には、限定的な教え(儀式・戒律・手段)に依存する必要がない、ということです。


■解釈と現代的意義

この節は、「手段や形式にとらわれすぎるな」という智慧を含んでいます。
形式・マニュアル・規範――それらは導き手としては有効ですが、
本質に達したときには、それを超えて自由であるべきだと示されています。

現代的に言えば、知識や制度に囚われず、
「原理原則」や「本質」に立脚できる人物が、真に柔軟で強いリーダーであるという洞察です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
マニュアル依存からの脱却成熟したプロフェッショナルは、手順や規則よりも、本質的判断力で動く。
目的と手段の区別手段(制度・ツール・プロセス)が目的化していないかを常に問い直す姿勢が重要。
全体最適の視野断片的知識に頼るのではなく、全体像を見渡して判断を下すことが、組織戦略には不可欠。
本質思考のリーダーシップ経験と洞察により、形式を超えて的確な判断を下すリーダーが、変化の時代に最も価値を持つ。

■心得まとめ

「悟りとは、手段を超えて本質に立つことである」
水があふれる世界で、もはや井戸はいらない。
それと同じように、真理に到達した者には、形式や儀式の枠組みは不要となる。

ギーターは語る:
「知識の果てにあるのは、智慧であり自由である」
学び、形式を尊びつつも、
最後にはそれを超えて、“自分の知見で歩める者”となれ。


次の第47節では、ギーターの核心的教えのひとつである
「結果に執着せず行為せよ(カルマ・ヨーガ)」の思想が展開されます。

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