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死の間際においても真実を知る者


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■原文

また、被造物に関して、神格に関して〔それを知る〕。また、祭祀に関して私を知る。臨終の時においても、私をこのように知る人々は、〔私に〕専心し、〔真に〕私を知る。
(第7章・第30節)


■書き下し文

また、被造物に関して、神格に関して、また祭祀に関して我を知る者は、臨終の時にも我に専心し、我を真に知る。


■現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • また、被造物に関して、
     → 世界に現れるすべての現象(個物)の本質を理解し、
  • 神格に関して〔それを知る〕。
     → 神々の存在やその働きの真理を知り、
  • また、祭祀に関して私を知る。
     → 儀式や宗教的行為の真意が、私(クリシュナ)に帰着することを知る。
  • 臨終の時においても、
     → 死の瞬間においてさえも、
  • 私をこのように知る人々は、
     → このように包括的な真理として私を理解している人々は、
  • 専心し、真に私を知る。
     → ひたむきな集中によって、私の本質を真に把握する。

■用語解説

  • 被造物(ブータ):生成されたもの。五大要素や生命体など、すべての現象存在。
  • 神格(アーディ・デーヴァ):多神教的な諸神の働きや人格。自然や法則を象徴する。
  • 祭祀(アーディ・ヤジュニャ):ヴェーダに基づく供犠儀式。供物・祈りを通じた神との交信。
  • 臨終(プラヤーナ・カーレ):死の瞬間。来世の行方を決定づける重要な時。
  • 専心(エーカ・チッタ):一心不乱に集中すること。精神の統一状態。

■全体の現代語訳(まとめ)

現象世界の本質(被造物)、神の働き(神格)、宗教儀式の意義(祭祀)について私(クリシュナ)を真に理解する者は、死の時でさえ私に心を集中させ、真実の私を知るのである。


■解釈と現代的意義

この節は「死の間際に至る意識の純度」が、いかに重要であるかを説いています。単なる理論的知識でなく、統一的な理解と集中した意識が解脱へ導く鍵であることが示されています。

さらに、真理の理解は「部分ではなく全体」——個別存在(ブータ)、神の働き(アーディ・デーヴァ)、祭式という行為(アーディ・ヤジュニャ)——のすべてに通じることが求められます。


■ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

  • 全体の構造を知る者が、最終局面でも正しい判断ができる
     → 商品、顧客、組織の仕組みをすべて理解してこそ、事業の最後の一手(出口戦略・転換点)で的確に行動できる。
     → 「死の瞬間に迷わぬ人は、全体を知る人である」
  • 知識の断片ではなく、体系的理解と集中が成果を生む
     → 個々の施策・業務だけでなく、それがどう繋がっているのかを理解し続けることが必要。
     → 「知るとは、統合することである」
  • 重大な局面ほど、心を一点に集中する
     → 緊急時、危機対応時ほど「一点集中」が問われる。日頃からの修養が生きる。
     → 「緊要なときに心を定める力は、日々の専心によって培われる」
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