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真理を罵る者、自らを滅ぼす


■ 引用原文(『ダンマパダ』第八章「ことば」第七偈)

愚かにも、悪しき見解にしたがって、
真理に従って生きる真人・聖者たちの教を罵るならば、
その人には悪い報いが熟する。
棘のある○○*はのびて、節が熟すると
自分自身が滅びてしまうようなものである。

*訳注:○○には「蔓草」「毒草」「竹」などの解釈があり、出典により異なります。ここでは比喩としての意味に注目します。


■ 逐語訳

  • 愚かにも:無知であるがゆえに、真理に気づかず。
  • 悪しき見解にしたがって:正しくない価値観・世界観・考え方(悪見)に基づき。
  • 真人・聖者たちの教を罵る:悟りを得た人々の説く真理に対し、軽視・嘲笑・中傷すること。
  • 悪い報いが熟する:その因果(悪業)は時間とともに結果となって現れる。
  • 棘のある蔓草が自滅するように:一見、伸びて成長するが、やがて自分の節(構造)から崩れて滅ぶものにたとえられる。

■ 用語解説

  • 悪しき見解(ミッチャー・ディッティ):仏教における「十悪」の一つ。因果や業報を認めず、誤った信念に基づいて行動する姿勢。
  • 真人・聖者:真理を悟り、言葉と行いが一致した高潔な存在。阿羅漢やブッダに代表される。
  • 報い(ヴァパーカ):業(カルマ)の結果としての苦しみや不幸。悪業を積めば悪い報いが熟す。
  • 棘のある○○:自然界の比喩を用い、「自らの毒や構造によって自壊する存在」を象徴する。

■ 全体の現代語訳(まとめ)

もし愚かにも、誤った考えに従って、真理に生きる聖者たちの教えを罵るようなことがあれば、その者には確実に悪い報いが訪れる。
それはまるで、棘を持つ蔓草が、自らの節を伸ばしきった末にその重みに耐えきれず、自滅してしまうようなものである――自分の愚かさが、自分を滅ぼすのだ。


■ 解釈と現代的意義

この偈は、**「誤った信念と傲慢な言葉の結末」**を厳しく戒めています。
真理に基づく教えや人物を、中身を知らずに否定・侮辱する行為は、単なる言葉の過ちではなく、人生全体を危うくする因となります。
愚かさとは、知識の欠如以上に「自分の正しさを過信し、他者から学ぼうとしない姿勢」であり、
そうした態度は一見成功や成長に見えても、やがてその根本から崩れてゆくのです。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
慢心の危険自分の価値観や経験に固執し、誠実に生きる人や助言を嘲笑する人は、失敗したときに誰からも助けられなくなる。
反面教師としての組織文化正しい提言をする人を罵倒し、誤った判断を良しとする文化では、最終的に企業の根幹が崩壊する。
成長を止める見解「自分が正しい」と思い込む態度は、学びや助言を拒み、組織やキャリアの成熟を阻害する。
因果と報い短期的にうまくいっているように見えても、間違った姿勢や発言は長期的に信頼を蝕む。

■ 心得まとめ

「慢心と言葉の暴力は、自らの徳を切り崩す毒となる」

この偈は、「愚かな見解と侮辱の言葉が、自滅への道を開く」ことを強く諭します。
知識よりも大切なのは、真理に耳を傾ける謙虚さです。誠実な人や学びの機会を否定する言葉は、
自らの成長を止め、やがて信頼も成果も失わせる――まさに自壊の種を口から撒くようなものです。
ビジネスにおいても、**「まず耳を傾ける姿勢」「正しい者を敬う姿勢」**が、強い組織と人物を育てます。


この偈の比喩部分についてさらに自然的・仏教的に解釈することも可能ですし、章全体の主題整理も承ります。

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