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なされることの中に、なさぬ自己を観る


■引用原文(日本語訳)

聖バガヴァットは告げた。
「諸々の行為は、すべてプラクリティのみによって行われ、
自己は行為者ではないと見る人、彼は〔真に〕見るのである。」
(『バガヴァッド・ギーター』第13章 第29節)


■逐語訳

あらゆる行為は、自然(プラクリティ)によって自動的に成されており、
本質的自己(アートマン、純粋意識)は行為の主体ではない――
このように理解する者こそ、真実を見抜いている者である。


■用語解説

用語意味
行為(カルマ)身体・感覚・心を通して行われるあらゆる行動。
プラクリティ(自然/根本原質)身体・心・五感など、変化し作用するすべての要素。行為の原因となる側。
自己(アートマン/プルシャ)不動で変化せず、観照者として存在する純粋意識・真我。
行為者ではない(アカルタ)自己は行動の原因ではなく、観察者である。行為は自然の性質から起こる。
真に見る(サ・パシャティ)表面的な因果を超えて、本質を理解している状態。真理の洞察。

■全体の現代語訳(まとめ)

この節でクリシュナは、
「私が行動している」という感覚は幻想であり、
実際にはすべての行為は、自然(プラクリティ)の働きによって起こっている――
と理解することが、真実の智慧であると説いています。
真我(アートマン)は、ただ見守る者、動かぬ者であり、
行為するのは五感・心・身体という自然のメカニズムなのです。


■解釈と現代的意義

この節は、「行為に執着せず、自己をその結果と同一視しない」ための核心的な教えです。
自分がすべてをコントロールしているという錯覚を超えて、
「私はただ観ている意識であり、行為は自然に起こる」と理解すれば、
怒り、後悔、慢心、恐れから自由になっていけます。
これは実践的にも、エゴと自己評価の過剰さから解放される鍵です。


■ビジネスにおける解釈と適用

視点解釈と応用例
エゴの手放し成功も失敗も「自分がやった」と思い込みすぎると、過剰な責任や慢心に囚われる。自然の流れと捉えると、心は自由になる。
結果に対する冷静さ「自分がやった/やらなかった」と感情的にならず、起こった現象を観察する冷静な視点が、継続的成長に繋がる。
チームマネジメント部下や同僚の行動も“性質に根差した自然な働き”と理解すれば、寛容と的確な対処がしやすくなる。
内面の安定自己の中心は「行為者」ではなく「観照者」と気づくことで、波立たない内面を保てるようになる。

■心得まとめ

「行為の中にあっても、心はただ観よ」

『バガヴァッド・ギーター』は、「私がしている」「私の成果だ」といった思い込みを超えて、
あらゆる行為は自然の作用(プラクリティ)であり、
自己(アートマン)はただ見ている存在だと見抜ける者こそ、真実を知る者だと説いています。
この気づきは、現代社会で疲弊しがちな自己責任や完璧主義を超え、
もっと自由で、静かで、力強い在り方を教えてくれます。

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