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■引用原文(日本語訳)
聖バガヴァットは告げた。
「アルジュナよ、彼は光明と活動と迷妄*が現われた時それを憎まず、それが停止した時それを求めない。」
(第14章 第22節)
*光明=純質(サットヴァ)、活動=激質(ラジャス)、迷妄=暗質(タマス)
■逐語訳
神(クリシュナ)は言った:
「アルジュナよ、三つの性質――光明(純質)、活動(激質)、迷妄(暗質)が現れても、それを嫌うことなく、
それらが去っても、追い求めることもない者――このような者こそ、三グナを超えた人である。」
■用語解説
- 光明(prakāśa):純質(サットヴァ)の現れ。知性・明晰さ・清らかさ。
- 活動(pravṛtti):激質(ラジャス)の現れ。情熱・衝動・意欲・行動への衝き動かし。
- 迷妄(moha):暗質(タマス)の現れ。無知・錯覚・鈍さ・混乱。
- 憎まず(na dveṣṭi):嫌悪・拒否・否定的感情を持たない。
- 求めず(na kāṅkṣati):執着・欲求・依存をしない。
■全体の現代語訳(まとめ)
クリシュナは、「グナを超越した者」とは、
心の中に純質(清らかな知性)・激質(行動的衝動)・暗質(鈍重な錯覚)が現れても、
それを嫌悪したり抵抗したりせず、
逆に、それらが去ったときに、それを惜しんだり執着したりもしない――
そうした“冷静な観察者”として生きる者である、と語る。
■解釈と現代的意義
この節は、「内面に生起する状態に、善悪や好き嫌いを結びつけない」という成熟した心の姿勢を示しています。
多くの人は:
- 明晰で静かな状態(サットヴァ)を「良いこと」として執着し、
- 怒りや焦り(ラジャス)には反発し、
- 怠惰や落ち込み(タマス)には嫌悪感を抱きます。
しかし、「グナを超越した者」は、それすらもただ観るのです。
「今は暗質が来ているな」「お、純質が来ているな」と。
それらを自分と同一化せず、「自然の作用」として流し、心を静かに保つ――
それこそが、解放された意識の生き方なのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
内面状態に巻き込まれない訓練 | イライラしても「ラジャスが優勢だ」と気づけば、怒りに支配されず冷静に行動できる。 |
浮き沈みの受容 | 調子の良い日も悪い日も、淡々と観察し、波に乗らず波にのまれない態度を保つことで安定した成果が出せる。 |
自他のコンディションの理解 | 部下やチームの“状態”も「性質の流れ」と捉えれば、対処は冷静に・的確に行える。 |
メンタルの持久力 | 絶好調な時に執着せず、不調な時にも自分を責めない――これが持続可能なプロフェッショナリズムを支える。 |
■心得まとめ
「心に現れるものを、ただ見よ。
それに名をつけず、好き嫌いをせず――
流れる雲のように、通り過ぎるのを見送れ」
真の自由とは、
純質であろうが、激質であろうが、暗質であろうが、
それらを「自分そのもの」とせずに、静かに見つめることで得られる。
ビジネスでも人生でも、浮き沈みにとらわれず、
その都度「何が起きているのか」を観察できる心が、最も深い安定をもたらす。
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